2007年03月01日

ボランティア?嫌いですけど。

とあるところに出した原稿です。保存がてらにここにあげときます。
基本的には昔の原稿を改訂増補したものです、はい。 

大学で「カンボジアの恵まれない人々を救う」と銘打った団体に出会ったことがある。クラスメートも何人か入っていた。彼らを見て私は驚いた。「自分たちのしてることは偽善じゃないのか」という疑問は、そこに微塵も無いようだった。偽善じゃないかという指摘をすると、じゃあ偽善とは何で、偽善らしさのない善行なんて果たして可能なのかっていう地雷へと到達するので、そこは指摘しなかったけれど。
 ただ、ボランティアという行為に何らかのきな臭さを感じている人はいるようで、この話をしたら共感してくれた人は少なからずいた。ボランティアを真っ向から批判するのは道徳的に白い目で見られるから黙っていたのが、私の話によって引き出されたようだった。私と何人かの友人が感じているきな臭さの根っこを掘り当てることが、自分の中の問題として今も引っかかっている。考えてきたことを記していきたい。

 外国の恵まれない人を救うというのは、名も知らない人への善意として高く評価される。自分の身の回りにいる人に善意を払う以上の行為として、評価される。ここで思うのは、名も知らない人の方にこそ善意を払う、いや、むしろ名も知らない人にでなければ善意を払えない人は意外と多いんじゃないかということだ。何故か。善意を拒絶される心配が無いからだ。
 貧困に喘ぐ人々にとっては、与えられるものを選び取る以外に選択の余地は無い。与えられたものを受け取らなければ、端的に死ぬ。少なくとも、今より状況が良くなる見込みは無い。そこでは「与える者」は、常に「受け取る者」が受諾することが前提になっている。「受け取る者」に選択の自由はあるにせよ、それは「受け取る者」によって正しい選択がなされるという前提のことであり、その前提は「与える者」によって占領されているような印象を受ける。予定調和化している、システム化していると言ってもいいかも知れない。「与える」とは、もちろん物質的なものだけでなく、精神的なものも含んでいる。当然、善意もそうだ。このシステムの中にいると、善意が必ず実るのだ。それはとても甘美なことだろう。

 さらに考えさせられるのは、クラスメートの「カンボジアの子供たちの笑顔を見ていると、苦労が報われる」という発言である。確かにそうなのかも知れない。ただ、助けられた側にとってはどうなのか。
 (私がひねくれているからかも知れないが)私が救われる立場だったらこう思う。あなた達は私の生活を一変させてくれた。このお礼をどうにかして返したいと思うが、あなた方は私の笑顔を見るだけで十分だと言う。せめてものお礼として、私はあなた達の前では(たとえ辛いことがあろうとも)笑っていなければならない。…実は私たちが払っている対価は、彼らが払ってくれた対価よりも、最終的には多くなるのではないか?彼らは私たちの返礼を(笑顔という)抽象的な次元に落とし込むことで、一生かかっても払えないものへと変貌させていないか?
 こんな感じである。ボランティアの精神、無償の贈与の精神が、結果として契約の形式よりも精神的に強い拘束力を持つ可能性を、私のクラスメートはどの程度自覚していただろうか。無償の行為は道徳的に優れているかも知れないが、それが道徳的に優れているがゆえに、混乱をもたらしかねないことを、自らの道徳性に溺れることなく見ることは出来ていたのだろうか。

 最も私に切迫した問題としてあらわれ、またクラスメートに対して複雑な思いを感じるのは、私の父親がⅠ型糖尿病という難病であるという事実である。言いたいことは、カンボジアの人よりも俺の父親をなんとかしてくれということではなく、近くにいる人だって何らかの悩みや問題をもっているはずで、それに向き合わないでカンボジアの人を救おうとすることは、眼前の事実から目をそらすための口実なのではないか、ということだ。
 確かに自分の近くにいる人の悩みに携わるということは、その人と決裂する可能性を秘めている。悩みを共に考えて、何か行動に移してみることは、悩んでいる当人がそれを余計なお節介と思ってしまえば、その通りになってしまう。例え善意からの行動であっても、である。例えるなら、良かれと思ってする行為は、善意の破片でしかない。それは組み上げる者(良かれと思ってする行為を受け取る側)によっては善意になるが、それ以外のものにもなりうる。当然ながら偽善にも。

 機会があるなら、卒業していくクラスメートにもう一度問いたい。私みたいに考えてる人が「助けられる側」にいたなら、あなたはどうしますか、と。それとも、私の考えこそが実行力に欠ける人の言い訳でしかないのだろうか。

投稿者 野ざらし : 00:26 | コメント (0)

2007年01月29日

新しいことをしてみる

ジジェクの著書を読もうとしたら、ラカンを分かってないと文章の半分くらいが理解出来
ないことが判明したので、ラカンの解説書とかミクシィのコミュニティで情報収集してみ
ると、今度はラカンはフロイトが分かってないとちんぷんかんぷんとのこと(これは当た
り前なんだけど)。
おまけにジジェクはヘーゲルも分かってないといけないらしい。すいません、ほとんど分
かってないっす。正反合くらいか。
薄々気付いてたけど、他の人の著作も(ジジェクほどあからさまではないにしろ)先人の著
作が分かってないとダメで、それをジジェクによって突きつけられた格好。「かいつまん
で理解しようなんて虫が良すぎる」と言われているかのように。


つぅことで、新しいプロジェクトを開始します。その名も「ひとり思想史」。
自分の持ってる本を体系づけて、思想史にしようという企画。ラインナップはこんな感じ
で。


近代
 カント
 ヘーゲル
現代
マルクス
ハイデガー
ベルクソン
フロイト
さらに現代
メルロ=ポンティ
ラカン
ドゥルーズ
デリダ

主な流れとして三つほど。

①カント、ヘーゲル、フロイト、ラカンの概説書をばばっと(と言っても2ヶ月くらいかけ
て)読んだところで、ジュパンチッチ『リアルの倫理』とジジェク『否定的なもののもと
への滞留』を読む。

②ハイデガー『存在と時間』を、ゲルヴェン『存在と時間註解』と、木田元『ハイデガー
の思想』を便りにしつつ読む。派生的にベルクソンも。篠原資明『ベルクソン』と市川浩
『ベルクソン』あたりかなぁ。
んでベルクソンを概観した勢いに乗じて、ドゥルーズ『アンチ・オイディプス』を、宇野
邦一『ドゥルーズ・流動の哲学』を参考にして読む。

③マルクスの『資本論』…と思ったけど、分量が多すぎるし、優れた解説書が出るに十分
な年月も経ってると思うので、今村仁司『マルクス入門』とか的場昭弘『マルクスだった
らこう考える』で思想面を補充しつつ、伊藤誠『資本論を読む』を進めていく予定。

合間合間に個人的に気になってたメルロ=ポンティ、デリダなんかを挟めればいいなぁと
思っておりまする。

全部併せて一年くらい、遅くとも2008年の3月(つまり卒業)までには終わらせるつもり。
卒業した後でもちゃんと読める文章にするのが差し当たっての目標。読むのが精一杯で無
理だろうけど。

他の本の感想は基本的にブクログにアップしまーす。

投稿者 野ざらし : 02:16 | コメント (0)

2007年01月14日

息を止めたままで

復活。
最早ほとんどの人が見てないだろうけれども。

近況を報告しますと、就活してます。
どの企業に行こうか悶絶する日々なんて、一年前には全く予想もしなかったなぁ。
つくづく人生は分からない。

そんな野ざらしごときの認識とは関係なしに時間は歩を進めていくので、ここらでそろそろ失語症状態から脱しないといかんね。
と思って復活した次第。要はリハビリみたいなもんです。
本はちまちまと読んでるけど、基本的にブクログに感想をアップしてあるので、こっちに書くのは特記するほど良かったものにしときます。

The Sunshine Undergroundかっけぇね。ここ一ヶ月ラヂオで流れまくってる。

投稿者 野ざらし : 03:27 | コメント (0)

2006年09月30日

羊皮紙をめぐる冒険

最近、読む小説読む小説が面白くない。
と言っても小説が悪いとかそんな大それたことを言いたいのではなく、自分が選んでくる本がある程度パターン化していて、本を手に取ってパラパラとめくると「あぁ、そういう感じのを読みたかったのね」みたいな気持ちが沸き上がってくることが問題なのだ。
つまりは自分の読む小説の区分が固着して、小説があたかも処方箋のようになっている、ということ。よろしくない。
自分の欲望を裏切ることを欲望している、と言えばいいのだろうか、いずれにしても自分が今まで望みもしなかった小説を読んでみたい気分になっている。
そんなことは他人の知ったことでは無いというのは言ってる本人が一番分かっていることだが、そもそも世の中の大部分は「本人にとっては重要だが、他人にとってはどうでもいいこと」で構成されているような気がしてならない。(例:痔を患った当人とそれを聞いた人の温度差)

姉が読んだものであろう、石田衣良の『アキハバラ@DEEP』がソファの下に転がっていたので、とりあえず手に取ってみる。思い起こせば石田衣良はもう4冊目。十分読んだと言っていい。
自分のパターンを外れようとする動きすらもパターン化していることに愕然とする。

自分のボツ本棚(読んだorいつ読むとも知れない本が詰まった段ボール)に一縷の望みを託し、助けを求めることにした。
半分ほど人にあげたので寂しいラインナップになっているが、その中からポーの『黄金虫』を拾いあげる。推理小説にも手を出そうと思ってそのまま放置していた一品。
このくらいラディカルにいかないと何も起きなさそうな気がする。自分への精一杯の不意打ち。
かと言ってこれをきっかけに推理小説にはまってしまうと、それはそれで気持ち悪いこと請け合い(他の人が言うならいざ知らず、野ざらしが「最近推理小説にはまってるんだよねー」と打ち明ける時の気持ち悪さを想像してみて下さい)なので、依然として葛藤は残ったまま。どんまい。

投稿者 野ざらし : 13:38 | コメント (0)

2006年09月08日

細切れについてない一日

テストの前半戦が終了したが、賢明な野ざらしは後半戦を見据えて駒場図書館へ。政治学史の教科書を借りに行くため。
駒場は副都心のように様変わりしていた。イタリアントマトが出来かかっている。
いや、イタリアントマトがチェーン店だってことを後輩に聞いて初めて知ったんだが。福島にはそんなもん進出してないから、俺が悪いんじゃないんだよ!!

図書館に行ったものの何故か検索サーバーがダウンしていて、仕方なく目当ての本を手探り状態で探す。
しかし、無い。結局別物を借りてきたが、これでどうにかなるのか…?普通はならない。
他にも借りてきてしまった(『肉への賛辞 フランシス・ベイコン・インタビュー』と『知の欺瞞』。あとドラフト外れ一位で借りてきたのが『政治思想史』。どんなメンツだよ。)ため、ものすごく重い荷物を背負ったまま渋谷へ。ちなみに本郷図書館で借りた書物も借りている。

と思ったが、駒場の博物館にふらっと立ち寄る。
「光の世界」というものをやっていた。光ファイバーを使えたり、反転鏡(左手を上げると、鏡の向こうでも左手を上げる!)などなどがあって、かなりクオリティの高い展示だった。デュシャンの大ガラスもライトアップされていて、また別な表情を出していた。

で、改めて渋谷へ。プライドのイベントをやっていたらしく、横断歩道がなかなか渡れない。
荷物の重みを利用して強行突破しようかと思ったら、警察が来てくれたせいであっさりはけてくれた。でも荷物がぶつかった人に睨まれた。大事な本に衝撃を与えたのはそっちなのだから、こっちが睨みたい。が、目力が無いので自重。自嘲。
烏合の衆っぽさを前面に押し出して、それを恥じる素振りも見せないから渋谷は嫌いなのだ。
という考えをみんながしてると、俺も烏合の衆になってしまう。なかなかに難儀。だから渋谷は嫌いなのだ。下衆な池袋が大好きです。


投稿者 野ざらし : 22:43 | コメント (2)

2006年08月26日

どう雑然とさせたらいいか

またまた最近更新してなさすぎ。自分に引いた。それもこれもテストのせいだ。本もろくに読めてない。が、かと言ってずっと勉強をしているわけでもない。
じゃあどうして本を読めないかというと、「テストがあるのに本を読む」という行為に対して自分の中でどこか疚しさがあるからであって、その疚しさが超自我のような働きをしてるからだと思う。テストごときに代替作用をされるとは、なんと安っぽい超自我なんだ。

それはさておき、更新してない間に色々と、このブログの方向性を考えたりもした。主にクオリティの低下について。以下、かなり他人にとってはどうでもいい自己反省。


記事の一つ一つのクオリティを上げないといかんというのは前々から思っていて、何ゆえにクオリティが下がっていったかということの原因を考えていたのだが、思い当たったのは、ブログ指南書(別にこういうのを読んでるわけではないっす、念のため)に絶対書かれている「毎日書いてみること」って言葉。完全にこれに惑わされてた。
もともと日常の出来事をネタ的に書くのはmixiで間に合ってるし、何も無かった日は「何も書かなかった」という事実そのものが存分に語ってるということに気付いたら、別に無理して書くことは無いんじゃないかと。ページ自体を放棄さえしなけりゃいいわけで。

あと原因になってるのは、読んでる人の目を意識しすぎたこと。誰にでも分かるようにってのを意識しすぎて、ちょっと広く浅く書きすぎた。
ディープに書いたとしても、琴線に触れたら分かるんだと思う。そうじゃないとニュアンスなんて言葉は無いはずだ。
つぅか別にもういいや、誰もコメントしてくれなくても。
べっ別に、コメントしてくれっていうフリじゃないんだからねっ!!(ツンデレ)

投稿者 野ざらし : 22:23 | コメント (0)

2006年08月01日

枯渇してからが勝負だ

毎年体験してるはずのことなのだが、夏休みというのはここまでイベントが少なく、ガリガリと氷が削られるように日々が過ぎていくことに改めてびっくり仰天。世界ふしぎ発見。どうぶつ奇想天外。
つまりは日記に書くほどのイベントが皆無なので更新も滞ってるわけで。いかにイベントが無いかは、「ネタが無い」ことをネタにして日記を書こうとしている、なんとも苦しい冒頭部分からもぷんぷん匂ってくるだろうから、お分かりだとは思う。つまりはぐずぐずということ。

今日のバイトの生徒が使っていた教科書は問題文も英語で書かれていたのだが、「態を直せ(例えば、能動態を受動態に変える)」は英語で「Chenge the Voice」って言うことを初めて知った22の夏。
思わず「これどういう問題なの?声色を変えて読めってことなの?」と訊いてしまったことは主任には言えない。クビになりかねない。もともと窓際族だが。
で、とりあえず声色を変えて読んだら、なんというか、形容しがたい矮小なものを見るような目で見られた。
そ、そんな目で見られたら、新たな世界が開けちゃうじゃないか!そんなはずもなく。


一昨年から福島でMUSICA FESTA FUKUSHIMAというイベントが開かれているのだが、野ざらしの知人の方々がスタッフとして働いていることもあって、思い入れがとっても深い。いずれは名物イベントへ、という思いを持って運営しているせいか、毎年ゲストのクオリティが高い。一昨年はエゴラッピンで、去年はテイ・トウワ。地方のイベントとしては破格。
で、今年はUAが来るらしい。行きてぇぇぇぇぇ。
が、早稲田のロースクールが被っているという悲劇。火曜サスペンス。涙をこらえてUAのベストアルバムを聞いているオラに、みんな力を分けてくれ!(投げやり)

投稿者 野ざらし : 22:25 | コメント (0)

2006年07月29日

薄氷というよりも、氷は既に溶けている

昨日のおはなし。
ようやく早稲田の出願をした。

で、そのままどっかに出かけようと思ったのだけど、ベルトを忘れていたので家に戻った。
そしたらね、あったのだよ。封筒に入れ忘れた書類が。
もうね、落ち着け落ち着けと言い聞かせながらしずしずとベルト装着して、疾風の如く郵便局にヘッドスライディングですよ。
まだ配送にまわってなかったからギリギリセーフ。封筒をばりばり開けて投入。これ出してなかったらアウトだな。封筒を開封してよかったのかは定かではないけど。
たとえ早稲田の事務局から「書類が足りないですよ」って連絡があっても、心が萎えて無視してしまいそうだ。そういう奴です俺は。

来週末に実家に帰りたいのだが、今あるお金は15000円ほど。で、入ってる予定に使うお金を引いてみると、ちょうど1000円。これはやばい。物乞いでもしようかな。

投稿者 野ざらし : 22:54 | コメント (0)

2006年07月21日

断髭式開催決定

起きたら1時という絶望感を味わったこと、みなさんはおありでしょうか。
野ざらしは最高で4時半があるので、この程度の惰眠ではへこたれないのです。(涙を必死でこらえながら)

惰眠を貪るのもほどほどにして、バイトへ。
髪を手で束ねてみたら「オダジョーっぽい」と言われたので、ちょびっと有頂天になる。
が、それは顔がではなく、髭その他の無造作感がオダジョーっぽかっただけと判明。そのまま放置しといてくれれば、野ざらしは幸せに暮らしました、めでたしめでたし、だったのに。

その後「先生のどこが悪いか」という話題(吊るし上げ?)になったら、髭がダメだと言われた。
俺をどうしたいのかね、ちみたちわ。

とりあえずね、会う人会う人に様々な毀誉褒貶を巻き起こしてきた髭、もう剃ります。剃毛です剃毛。ぶっちゃけた話、電車に乗ると結構な高確率でチラ見されるのは切ない。俺はれっきとしたMだが、視線を快感に変えるにも限界がありますわ。
あんまり見られると、ホームレスと勘違いされてるのだろうかと不安になる。実際その未来もあり得るから過剰に意識してしまうというのもあるが。


帰りに古本屋に寄ったら、レムの『高い城・文学エッセイ』が2000円で売っていた。ほしーーー。なんとか帰省明けまで売れ残っていてくれ、と呪詛をかけておく。

投稿者 野ざらし : 20:01 | コメント (2)

2006年07月17日

吉祥寺が福島弁に染まる

高校の友達と飲みに行くことになった。一人は2メートルの巨人コントラバス弾き、もう一人は来月に修行に行くという僧侶。なんだ、一般ピーポーは俺だけじゃないか!(抗議は一切受け付けません)
連絡をとってみると、あちらは国立にいるとのこと。かたやこちらは池袋。どちらかに移動の負担が集中すると気まずいので、中間地として吉祥寺を選ぶ。

吉祥寺に着いたものの、吉祥寺の地理をよく知るものはいない。(野ざらしは何回か来ているが、地理感覚が全く信頼できないので却下)迷いついでにユニクロに寄ったら、ボーダーTシャツが590円で安売りされてたので、色違いを3枚買ったところ「なんて病んだチョイスなんだ」と友人が口走る。ごもっとも。だがボーダーは役に立つ!個人的には満足のチョイス。

border.bmp

しばし吉祥寺を徘徊したところで土間土間を発見、即侵入。メニューの中に「ロシアンルーレット」というメニューがあって、6個のチーズたこ焼きのうち1個だけ激辛というものだったのだが、負けがこんだ人が悔しさのあまり店員を呼ぶのを繰り返したため、最終的に6皿も食べることに。6皿目頼むときとか、最早店員が笑いながら確認するし。
三人で当たりが2:2:2だったのでいい勝負だったのだが、油物の食べすぎでやや気持ちが悪い。そして当たりに入ってたハバネロソースのせいで内臓が熱い!

russian.bmp

巨人の方は2年ぶり、坊主にいたっては5年ぶりの再会だったのだが、話が噛み合わないことはほとんど無かった。それが福高クオリティ。
そして大学では会話のパスがなかなか通らなくて苦労していることも共通していた。それが福高クオリティ。

giant and priest.bmp

すごい身長差だ。実はでかい方がちょっと遠めに写ってたりするので、本当はもっと差がある。すげー。

投稿者 野ざらし : 21:22 | コメント (0)

2006年07月13日

気合のみなぎった日記

あつくて しにそう というか にどほど しんだ

もじを へんかん するのも だるい

てぬきじゃないの だるいの

ついに あつさに たえかねて よにいう たんくとっぷなるものを かいました

わきげが でるから けいえん してたけど

めちゃめちゃ かいてき かぜとおし さいこう

そでが ないだけで こうまで かわるとは

くわずぎらいは いけないですな


てつがくの れぽーとで きょうは てつやです

さんどめの しを むかえようと しています

さきだつ ふこうを ゆるして ゆるして


まいるすでいびす と じょんこるとれーんの えいぞう(かいんど おぶ ぶるーは いいきょく ですな)を みたけど

かえるのごとく まいるすの くびが ふくらんでる

こうこうじだいに きいた はなしだと

せかい さんだい てのーるの かたがたは

ふくしきこきゅうが すごいので

おしりの あたりまで ふくらむそうな

にんげん やれば なんでも できるのですね

がんばろう おー

投稿者 野ざらし : 01:20 | コメント (0)

2006年07月08日

12組のいかれた男

久々も久々というか、むしろ大学生活で恐らく最後と思われる、我らが12組のクラコンへ行く。半年前に会ったきりとかの人が結構いたりして、時の流れを感じる。でもみんなほとんど変わってない。やや時の流れを忘れる。
「この面子で飲むのはきっと最後」というのが分かってるせいか、心なしかテンション高め。人間とは「最後」とかの特別な形容詞がつかないと、なかなか満喫しようとしないもんなのですな。そういう意味では満喫したのはしたが。
ハイテンションも手伝って、一ヶ月分くらいまとめて笑った気がする。改めて面白かったことを挙げていくときりがない。きりがないし、あの場の空気をも含めた面白さが出ない。ともかく今は、笑いすぎてやや顎が痛い。
そして女性陣の下ネタに対する耐性が、4年間でものすごく増してることに驚きを隠せない。どんだけ(下ネタの)修羅場をくぐってきたというのか。東京砂漠。教授のセクハラ。

でもでも、もう一回クラスで飲みたいなぁ、というのが正直なところ。これで最後にするのは惜しい、というかちと寂しい。来たかったけど都合があって来れなかった人もいるわけだし。

とりあえず(絶対見てないけど)バティさん、あなたが神なのは分かったから即刻ズボン買ってください。帰宅してから冷静に写メ見たけど、これは捕まる。

ばてぃ.bmp

この勝負強さに勝てない。忸怩たる思い。

投稿者 野ざらし : 01:10 | コメント (2)

2006年07月05日

あいはぶぁへでいく

頭が痛い。なにか悩み事があるわけではなく、文字通り頭が痛い。これはどうしたことか。
特に対処法も思いつかないので、とりあえず寝てみる。
起きたら更に痛くなっていた。これはどうしたことか。色々やりたいことあんのに。せっかく図書館から長期貸し出しで本を借りてきたのに。ちなみに『他者と死者』、『生成文法がわかる本』、『フーコー 知と権力』の三点となっております。

気がつくと眠りに入っていて、ミサイルを食らって東京が壊滅する夢を見た。何かの暗示か?と思いながら起きると、ラジオから「テポドンが…」と言ってるのを忠実に夢に反映しただけのようだった。どちらにしても寝覚めの良い夢ではない。
将軍様が俺の安眠を脅かしてるのか、くそぅ。

UAと菊地成孔が組んでアルバムを出すようだ。
『東京大学のアルバート・アイラー』を読んでからというもの、何故か菊地大先生をたびたび各メディアで目にするようになったので、気になってしょうがない。でも相変わらず金が無い。頭が痛い。

VICL-61957.jpg

視聴してみたけど、ジャズだろうが月の砂漠だろうが、UAが歌うとどんなジャンルでも「UAの歌」になってしまう。有名な「over the rainbow」も入ってるけど、サビに入るまでは完全にオリジナルに聞こえた。
椎名林檎もそういう傾向あるけど、UAの方がより曲を食うようだ。
声に広がりがありすぎるからかも知れないが、UAの声質はあんまりジャズに向いてないような気がする…。ジャズに対する固定観念がそう聞かせるのだろうか。
お前どんだけ上からものを言ってんだよ、という突っ込みは随時受け付けています。全くもってその通り。

とりあえず、ジャズではなくUAのレパートリーと思った方がよろしいかと。あと初期のエゴラッピンにもかなり似ている。

投稿者 野ざらし : 21:49 | コメント (0)

2006年07月02日

フットサル改めサウナ

フットサルの予定があったので、起きて間もなくに眠い目をこすりつつ早稲田へ向かう。はずだったのだが、財布を忘れたためにあっさり引き返すはめに。
おかげで出だしから色んな人に迷惑をかける。特におかもっさんに。かなりすいません。

やや気を落としつつ体育館に向かうと、あんまり人がいない。というか2チーム組めない。
仕方が無いのでフィールドプレーヤー3人、交代一切無し、通り雨の繰り返しで蒸し蒸しの体育館で2時間という、筋金入りのどMで無ければ耐えられないシチュエーションでやることになった。まぁどMだから耐えたけど。
雨宿りがてら立ち寄ったサイゼリヤでドリンクバーを大活用しても、なかなか渇きが癒されない。どんだけ汗かいたんだろう。とにかくこの季節のスポーツは汗が出る。両生類になったかのようなうっすらとした光沢を放っている自分がいた。

今回はほとんど未知の団体にお邪魔させてもらったが、たとえ社交辞令でも「また来て下さい」と言われたのは嬉しかった。人徳のなせる業か。嘘です。
きっと柄にもなく体育会系っぽいノリでいたのが良かったと思われる。柄にもないことというか、久々の運動でテンションが高めだっただけなのだが。普段のテンションの俺を見たらどう思うのだろう。

その後なんとなくビリヤードをしたが、キューの当たり所が悪いらしく、球が浮くのなんの。台の外まで出て行くのなんの。台の上という既存のスケールに当てはまらないダイナミックなビリヤードを展開し、他の客の(冷たげな)視線を集めた。
三人でやったのだが、いつの間にか「俺の後は好きな所に手玉を置けて有利(俺がファールを度々するため)」という不文律が出来ていたのが痛々しい。

大人計画の社歌にはまってしまった。
やっぱ松尾スズキはすごいなぁ。この映像を思いついた過程が想像できない自分がちと悔しい。どん、どん、どどんどん。


投稿者 野ざらし : 19:55 | コメント (0)

2006年06月30日

呼吸するように読書

ゴージャス松野先輩はマイミクのリクエストを快諾してくれました。わっしょーい。
「ともに福高生であったことに誇りを持ちましょう」とかいうメッセージもついていた。実はとてもいい人疑惑。
江頭2:50しかり、テレビでのけ者にされてる人はいい人が多いということか。

sketchupをダウンロードしてぐにぐに遊んでいると、いつの間にか時間が過ぎている。まずい。まずいがそれ以上に面白い。


最近になってようやく本がすらすらと読めるようになってきている。いとうれし。
目標としては一週間に三冊くらいと思っていたが、夏休みに入ったら普通にいけそうな感じになってきた。もちろん勉強もしつつの話。実家はネットなんてハイテクなもの無いしね。
ふと今家にある本で未読のものを数えてみたら、大体300冊くらいあった。
一週間に3冊のペースでも約2年弱。ぎゃふん。
とりあえず下衆だと言われようがなんだろうが、今は池袋ウエストゲートパーク読んでます。一日でほぼ読み終わったけど。
しかしよくこの小説、池袋以外の人にも受けたなぁ。豊島区民からすると知ってる店とか出てきて面白い、というのは分かるのだけど。
ひとえにドラマが面白かったことに尽きるのか。脚本クドカン、演出堤幸彦だもんなぁ、そりゃ面白くもなるよなぁ。
ちなみにドラマ中で長瀬智也が担ぎこまれた病院に、俺も担ぎ込まれた経験があったりする。そんなこんなで親近感。

投稿者 野ざらし : 23:04 | コメント (0)

2006年06月27日

凡人は隙間産業なりけり

ギャラリー小柳っていう所で、オラファー・エリクソンの展示をやっているそうな。
オラファー・エリクソンと言えば、品川の原美術館でやっていた展示がmixi界隈でやたらと話題になっていたにも関わらず、家でぐだぐだしていたら(あと品川から徒歩15分くらいかかるので、迷うのが怖かったというのもある)会期が終わっていた苦い思い出がある。そんなに苦いとも思ってないが。とりあえずリベンジの方向で。

友達が卒業したらバンドでプロになるつもりらしい。すげぇ!学歴というしがらみをものともしない姿勢に感動。どうせなら大成してほしい。
実はうちの大学からバンドでプロになった人はけっこういるらしいのだが、渋さ知らズのメンバーの一人は、数学オリンピックで日本代表になった経験もあり、教授と共著で本も出しておきながらバンド活動を優先して、現在に至るらしい。そこまでやられると凡人の出る幕も無いな。
一人で(社会的な)椅子を何個も占領しないでください、と言いたくなるのはルサンチマンがそうさせるんだ、きっとそうだ。

投稿者 野ざらし : 21:13 | コメント (0)

2006年06月25日

試験で青山に行ったのではない、と思おう

適性ミスったね、えぇ。保険があって良かった良かった。試験があったことは忘れよう、そうしよう。

たまたま会場が青学だったので、帰りにワタリウム美術館に行ってきた。これまたたまたま会場が一緒だった友人まーらいおんと共に。

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パイクは、物の使い方の可能性に挑んでたのだと実感。もちろん楽しみながら。
テレビを使ったメディアアートは、部分の集積と全体が全然違うものになるから面白い。「この部分で何故この映像を使うのか?」じゃなくて、関連性が薄い部分を組み合わせたらいつしか作品がモンスターじみてくること、これにキモがあるんじゃないかと。イコノロジーはとても通用しそうに無い。

感想としては、コンセプトについてはものすごく緻密に考えてそうだけど、それが実現さえしていれば細部にはさほどのこだわりを見せない、という印象を受けた。
全体としてうまく言い当てる言葉が見つからないのだけど、「見る者vs見せる者」みたいな関係を打ち破りたいのではないかとは思った。そのために「見せる者」として役割が定着しているテレビの立ち位置を揺さぶったり、写る映像の意味性を取っ払ったりしたかったのでは。全くパイクについての知識が無いんで、独断でしかないのだけれど。
多分メルロ・ポンティとかドゥルーズとか読むともうちょっと分かりそう。やたら思想に詳しい人だったみたいだし。
いずれにせよパイクに対する興味は依然として津々である。


投稿者 野ざらし : 22:21 | コメント (0)

2006年06月22日

翼も萌え要素に入るのか

ひょんなことからレッドブルをおごってもらう。
どうせおごってもらうなら、自分の財布から金を出す気が起こらないようなものを頼んでしまおうという邪心から、ついカッとなってやってしまった。今は反省している。だって275円もするんだもの。
味は紛れも無くリアルゴールド。つぅかリアルにリアルゴールド買ってきてくれたのかとすら思った。
コンセプトとしては「疲れてる時でも元気になる」みたいな感じだったようだが、飲んだ後は隠れ家こと経済学部図書館に行って爆睡。すやすや。もっと強烈なのじゃないと翼は授かれないっす。

立て続けに『モードの迷宮』と『東京大学のアルバート・アイラー』を読み終える。どっちも大変面白かったので満腹。前者は二回目だったけど。今は『動物化するポストモダン』を読んでる。オタク論。これを読んでると痛々しい。
自分のことに当てはまるとかじゃなくて、この本に載ってる美少女ゲームにハマリまくっていた友人を知ってるからである。
今は連絡を取っていないが、この本はその彼の慰霊碑であるかのように錯覚してしまうくらいに的を得ている部分がある(もちろん、「なんか違うような気がする」と思わせる部分もあるけど)。

猫耳とかあほ毛とかの「萌え要素」を求めるという指摘は、音楽に対する接し方が薬理的になってきているという、『東京大学のアルバート・アイラー』の菊池成孔の指摘となにげにリンクしていたりする。
「巫女+ポニーテールに癒されるよなぁ」というのと、「悲しいときはバラードに限るね」という発言は、どちらもひとしく対症療法的である。
身の回りのものを「ある病理に対する薬理」という役割に当てはめてしまうことこそ、まさしく病理的な気がするなぁ。

投稿者 野ざらし : 23:20 | コメント (0)

2006年06月18日

酒と泪と男ばっかり

豪雨と言ってもよかろうと思われる中、川崎市中心部をとぼとぼ歩く。
フットサルの大会があるためである。

結果?えぇ、散々でしたよ。一つ上のレベルに登録しただけでこんなに違うとは。シュートもろくに打たせてもらえず、パスはカットされまくり。おまけに鳩尾にシュート性のクロスがクリーンヒット。未だにしくしくと痛む。

残念な感じで今日を終えてしまいそうになるが、その後に友達とカフェでクロアチア戦を観戦することになってるので、試合の反省よりも8×4で制汗、制汗。
で、クロアチア戦。
第三者の視点から振り返ってみると、正直盛り上がりに欠ける試合だった。が、それだけに友達と一緒に試合の節々に突っ込みを入れながら見ることが出来たのは大きい。一人で見てたら確実に柳沢に呪詛をかけていただろう。暗い90分が容易に想像できる。
ちなみに三都主が中村のFKを尻でブロックしたり、試合後に足が吊ったのをクロアチアの選手に治してもらってたのがウケた。あの場面をみんなと共有できたのも良かった。

そのあとは家に上がりこみ、ブラジルvsオーストラリア戦を見ながらぐだぐだとトーク。もう友達とサッカーを観戦しながらぐだぐだする機会は人生においてそうはない、と思うとちょっと感慨深い。会話の内容は8割が下ネタだったけど。
気がついたらベッドの主要部分を占領して寝てたので、その辺も感慨深い。人間は眠くなるとなりふり構わなくなるようだ。ていうかすいません、つねおさん。

投稿者 野ざらし : 21:17 | コメント (2)

2006年06月11日

蹴球七日制

適性試験(前半の部)しゅーりょー。結果はよう分からん。明日正解が出るらしいので今日は放置!おとなしくW杯→全仏オープンの流れに乗っかろう。

素晴らしいイングランド応援歌を発見。荒んだ心が急激に和んだわ。

あぁ、なんかこう鬱屈した感じをぼかーんと吹っ飛ばすような音楽が欲しい。
Boom Boom SAtellitesでも借りてこようかなと思っております。
気がつくと体のどこかが勝手に音に同調している。素晴らしい!
つぅかこいつらほんとに日本人?世界に通用するだろ、どう考えても。

短い日記で申し訳ない。わざわざ来てくれた人にも、ネットスペースを活用し切れていないことにも。

投稿者 野ざらし : 20:16 | コメント (0)

2006年06月09日

ゲリラ的異臭騒ぎ

学校からの帰り際に腹が鳴った。エネルギー切れだとおっしゃっておる。
帰りの道すがら食料補充先を探していると、曰く「期間限定!塩ラーメン650円が500円!」とのことなので、誘われるがままに入る。

迎えてくれたのは、「あぁ、これのせいで150円引きなのか」と思うくらいの異臭。湿っぽい日の高校の下駄箱のような芳香が野ざらしを包む。
普段ラーメン屋の匂いなど全く気にしていないだけに、思わぬところで足をすくわれた格好。ていうか店員が気付かないことにびっくりする。
つくづく恐ろしいのは慣れなりけり。
ほんとにドアを開けた瞬間に「うわ、くせぇ」と言いたくなるくらいの濃厚さだったので、入ってからもやや後悔しつつ悶絶していた。コップを鼻と口の辺りにあてがい、急場をしのぐ。

やっとラーメンが届くと、鼻腔に溜まったかほりを追い出すようにラーメンを速攻ですすった。
ラーメンはおいしかったが、生きた心地はしなかった。
というかラーメンをおいしく感じさせるための環境作りだったのでは?という邪推が浮かんだ。だとしたら本郷界隈ではある意味際立った戦略だと思う。あくまでもいい意味では無いが。

スプーのえかきうたでファンタジーぶりを惜しげもなく披露してしまったお姉さんですが、ドラえもんを書いた画像も発見。
個人的にはこっちの方がホラー。唇あるし。

gahaku_by_doraemon.gif

投稿者 野ざらし : 23:21 | コメント (5)

2006年06月08日

一目見たならあとは飛ぶだけ

学校からの帰りの電車で、隣のおっさんが熱心に文章を校正していた。なんとなくチラ見してみると、そこには「関東支部」とか「カタギ」などの文字。
妙な因縁をつけられると困るのでそれ以上見ようとはしなかったが、この人がどういう職業かは、良い子のみんななら分かるよね?
それにしても、一見その手の方だとは到底思えないような、例えて言うなら本田博太郎のような風貌の方だったので、こんな人が多重債務者を東京湾に沈めてるのかと思うと胸が沸き立った。

天明屋尚の映画がやっとこさロードショーになったらしい。レイトショーという魔の時間帯(ほぼ寝る)の上映であることを乗り越えて、いざ渋谷へ!
毒を喰らわば皿までとばかりに、アンリ・カルティエ=ブレッソンの映画も見ちゃおうかと画策していたりもする。

なにはともあれ来週にならんと一段落も何もあったもんじゃない。めんどくせーよー。

投稿者 野ざらし : 23:28 | コメント (2)

2006年06月02日

大腸菌クーデター

今日は朝から腹痛に悩まされ、学校に行けず。
腹よ、暴れるのは勝手だが、俺が死んだらお前も死ぬんだぞ、ほどほどにしとけ。

バイトも休みたかったが、当日ドタキャンが出来るような所ではないので、変な汗を出しながら行く。

現在登校拒否をしているという生徒(中二)を教えた。
学校に行ってないだけあって、特に英語が破壊的に出来ない。
「I say to him が過去形になると、どの部分が変化する」と聞くと、「him…が…」と答えられた。
こ、こいつはなかなか。ていうか俺の手に余るぞ明らかに。
かたやデリダは14の時にニーチェを読んでたというのに、と説教したくなったが、「デリダって…過去形にするとどうなるんですか…」とか言われそうだったので却下。

全然関係ないが、やっとこさyoutubeでオスカー・フィッシンガーの映像を見つけた。
タイトルがliquid liquidってなってて、普通にオスカーで検索してたら引っかからないのね。どうりで見つからんわけだ。確か邦題は「酔っぱらい幻想」だったはず。

投稿者 野ざらし : 22:51 | コメント (4)

2006年05月31日

出会い系な午後

引き寄せられるように珍しい人と会う日だった。

それほど行くつもりも無かったのに、なんとなく総合図書館に寄ったら、大学院にいらっしゃる知り合いのスリランカ人僧侶に遭遇。
最高気温27℃なのに僧衣を着ているので「暑くないんですか?」と聞くと「しょうがないんです」と諦め気味の返答。ちなみに博士の論文書きに追われているらしい。
座禅の指導を何回かしてもらってるので、「博士号取っても帰国しないでくださいよ」と言ったら嬉しそうにしていた。後光が差さんばかりの勢い。
ていうか毎日僧衣を着て登校してる人に仏教学の学位あげなかったらおかしいよな。「見た目からすれば学位来て当然」みたいな周りのプレッシャーとも、彼は戦ってるんじゃなかろうか。がむばれ。

帰りに西武でお買い物してたら、長身かつ手品師のデヴィッド・カッパーフィールドみたいな格好をしている奴がいて、ひときわ目立っていた。
よく見ると代ゼミの化学講師、亀田だった。センター化学で多少お世話になったので声をかけてみようかとも思ったが、なにせかれこれ4年も前のこと。放置しました。
近所に住んでいるという噂はあったものの、まさかこのタイミングで遭遇するとは…。相変わらず気持ち悪かったなぁ。

なんか日記がまとまんなかったんで、適当に写真貼っておきますね。

wakaranai-nihongo.jpg

投稿者 野ざらし : 22:16 | コメント (0)

2006年05月30日

猫村狂奏曲

ネットでは五月の上旬の時点で既に売り切れていた、『きょうの猫村さん2』の限定版湯けむりセット(石鹸と手ぬぐい)を探しに旅に出た。呼んでたんです猫村が、「あたしを探して」って。
パルコ内のリブロ、西武内のリブロ、ジュンク堂と順にまわっていくが、どこも「限定版は予約分で売り切れだから、今頃買いに来るなんて笑止千万」と書かれていた。

しょうがないので、普段は毒性の強い空気に包まれているために敬遠している、ちょっとオタ感漂うコミックプラザという本屋へ。
久々(確か吾妻ひでおの『失踪日記』を買いに行って以来)に入ると、やはり空気の毒性が強い。ナウシカで言う腐海だと思ってもらえれば大体オッケー。18禁だろうがなんだろうが、新刊ならば分け隔てなく平積みにしてしまう光景を見たら、きっとマザーテレサも感涙することであろう。
で、仕事帰りのOLとかはあまり寄らない所だから、あったのよ限定版。さすがだが、長居したくない(店員もぶっきらぼうな感じ)のでさっさと購入して脱出。

おまけはこんな感じでした。

nekomura-yukemuri.jpg

nekomura-sekken.jpg

猫村石鹸なんて可愛くて使えないじゃないか、ちくしょう!

投稿者 野ざらし : 21:24 | コメント (2)

2006年05月29日

弧を描いて宙を射る

非常に多忙だった昨日のことをば。
ちなみに我が大学では五月祭とやらがあったそうだが、全く関与してない。

午前中は友達の作っている映画のエキストラとして撮影に。が、一時間も遅刻したためにほとんど撮影に加われず。機材の片付けとか移動とかをちょろっと手伝っただけなのに吉野家でおごってもらい、なんだか得しつつも申し訳ない気分。友達は明日引越しで金が無いというのに。
あまり手伝えなかったので、せめてものお礼として引越しの荷物を一時的に預かる約束をした。「段ボール4箱くらいまでなら」と言ってしまったものの、我が部屋にはマチュピチュの石垣よろしく剃刀一枚すら入るスペースは無い。どうする俺、と思いつつ白山をあとにする。(ちなみに昨日でクランクアップだったらしい。めでたや。)

午後はまた別の友人と、ワタリウムへ行く。全体としてバラエティに富んでいて良かったけど、一番良かったのはDuane Michaelsで一致。

DuaneMichals.jpg

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下のは展示に無かったけど、綺麗な写真だったのでアップしてみた。

それにしてもマルセル・ブロータスの作品は酷かった。
「○と×」という映画で、○×をマス目に書き込む、例の○×ゲームをただ淡々と映すだけ。本当にそんだけ。腰が砕けた。これをアイロニーと言ってはアイロニーに失礼なくらいだ。アイロニカルというよりかは脱力系と言った方が近い気がする。
でも嫌いにはなれないというか、見る人見る人に苦笑をにじませるのは、これはこれで一種の卓抜な才能でもあるんだろうなぁ。

その後はしばし原宿界隈をぷらぷらして、町並みの若いエネルギーと毒気にあてられた後、竹下口近くのyellow 96 cafeという所で夕食兼飲酒。すきっ腹に酒は大変効いた。
そしてぺペロンチーノが脂っこかったので、酒が腹を満たしてるのか胃にもたれてるのか判然としない状態に。ぐはっ。
足に酒がまわり始めて、段々と歩くスピードが遅くなるという、遅効性の毒を盛られた人間のような事態に苛まれながらも、なんとか帰宅。
今日の朝は二日酔いで一限をさぼるというオマケがついたが、楽しかったので万事よしとしよう。月並みだけど、やっぱり美術館も酒も、一人で行くよりは気の合う友達と行った方が良い。

投稿者 野ざらし : 20:50 | コメント (2)

2006年05月24日

ぜんぶ雨のせいだ

有楽町線の電車のドアに傘を挟まれたところから一日が始まった。どう考えてもやるせない。「なんで傘持ってんだよ」みたいな視線が痛かった。
が、ヤマが当たってどしゃ降り。ていうか傘差してもズボンがずぶ濡れになるくらいだったから、実は持ってない人と大差無かった気がしないでもない。駅を目指して足を早めていると、後方からすごいスピードで独り言を言いながら、やばめな感じの人がやってきた。
どうやばかったかは、この写真を見てもらえれば分かると思われる。カメラに写ってる距離よりも実際はかなり近いので、撮るのに相当どきどきした。

kitigai.jpg

どうやら近くのコンビニに置いてあった段ボールを強奪してきた模様。やはり本物は違う。


上の話題とはうって変わって。Edward Westonの写真がちょっと気になっている。ブロースフェルトもそうだけど、自然物のうねりやエグさに気付かせてくれる写真家は稀だと思う。
美しいものは同時にグロテスクなことが多いのだなぁ、というか美しさと気持ちの悪さは矛盾するものではないのだなぁ、と改めて感じさせられる。

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投稿者 野ざらし : 23:40 | コメント (0)

2006年05月19日

カカオの恵み

アナン事務総長に会ってきた。会ってきたと言うと聞こえはいいが、10秒くらい見ただけ。
「会う」と「見る」の境目の曖昧さにかこつけてみた。

kofy.jpg

この写真を激写する前、友達とチョコを食べながら「ぜってーアナンもチョコレート大好きだよな!」(アナン氏はガーナ出身)とか「俺今日、生まれて一番アナンって言ったわ」とか、非常に小馬鹿にしたような発言をしていたが、見たいものは見たかった。初めての出待ちがアナンなら後悔は無い。むしろ自慢できる気がする。

安田講堂から出てくるや否や、学生が携帯のカメラでアナンを撮り始めた光景を見て、アナンは「おまいら必死だな」と言ったとか言わないとか。

ちなみに今日アナンと連呼していて、ふとアナム&マキが浮かんだが、誰も知らないし広がらなさそうだったので、脳内で却下したのは内緒。そしてアナムは『酒と泪と男と女』の河島英五の娘だったりする。

投稿者 野ざらし : 00:04 | コメント (0)

2006年05月02日

鹿!この鹿!

数年前に狂ったように買っておいたTシャツどもが、ここにきて次々と朽ち果ててきている。穴、首もとの伸び、はたまたプリントの劣化。もはや誤魔化しようが無い。

というわけで、またユニクロのTシャツを買ってきてしまった。今年のユニクロのTシャツは本当に、本当に企業努力が感じられる。
今日はとりあえず↓を。

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このTシャツは俺的にはものすごくツボだったのだが、ものすごく売れ残っていた。coletteとのコラボなら、この妙ちくりんなデザインもうなずけるかも知れない。

コラボにかこつけて話を飛躍させてみるのだが、カップヌードルと大友克洋のコラボの行く末が気になってしょうがない。
手塚治虫をして「大友克洋の漫画を見て、一にも二にも降参するしかなかった」と言わしめたくらいの画力なんだけど、いまいちCGだと具合が良くないなぁ。動きがなんとなくぎこちない。時代が大友作品に追いついてしまったのだろうか。
大友克洋をよく知らないあなた、黙って漫画喫茶に行って『AKIRA』を読みましょう。

投稿者 野ざらし : 21:23 | コメント (0)

2006年04月26日

卓球の新製品

InKのアルバムがついに出たのだね、出たのだよ。
でもあんま前評判ないなぁ。天下の石野卓球大先生なのに。とってもいい出来なのに。
とりあえず視聴のリンク置いときますね。BasslineはCMで使われてるんで聴いたことあるんじゃないかと思いますよ。
…どこの回し者なんだ俺は。

KSCL976-JK.jpg

ジャケット↑も偉いことになってますな。でももうその程度じゃ動じませんから。エビちゃんのアネッサのCM見てもドキッとしませんから。
ちなみに「卓球」と入力して検索してたら、姉が「新しいラケットでも買うの?」と言われた。いやいや、名字をど忘れしただけだから。
確かに中学校時代はやんごとなき卓球部だったけどね。

話はうって変わって、こんな展覧会が催されているらしい。おしゃれ感が漂いすぎててあまりにもベタかも知れないけど、一度くらいは行ってもいいじゃないかと思う。
こないだ船橋に出来たIKEAも北欧かぁ。日本はいつか北欧に侵略されるのではないかという位のデザインの質の高さ。日本が劣ってるわけでは決して無いとは思うけどね。
つーかIKEA安すぎ!意味も無く植木鉢(89円)とか買ってしまいそうで恐ろしい。ダ○ソーとか行くなら、多少遠くこっち選ぶなぁ。

投稿者 野ざらし : 22:25 | コメント (0)

2006年04月24日

自分なりの山手線ゲーム

三限から学校に行こうと思って、起き抜けにラジオ(自室にはテレビを置かない主義なのです。破滅するから。)をつけたら、「山手線、埼京線、湘南新宿ライン運休」のニュースが飛び込んできた。
確か学校の規則には「10時の時点でどっかの路線が止まってたら、午後の授業は無いと思ってよし」と書いてあった。
んで今回の電車が止まった時刻を調べると、10時半頃とのこと。うわぁ微妙。学校に行ったら授業が無いというパターンだけは避けたいが、かと言って半ば故意に授業サボるというのも、単位が危険水域な自分の立場上、気が引ける。でも三限の先生は駒場から来るから、きっと電車使うし…と一人じたばた。

結局意を決して学校に行ってみると、電車が止まったこと自体が無かったかのように授業が始まった。逞しいなおまいら。
首都圏の人はメトロを使えばなんとかなったかも知れないが、埼玉とか神奈川の人はどう考えてもアウトなんだから、休講にしても良かったのではないか、と理屈をつけて先生を恨んでみた。すると大事なところを聞き逃した。世知辛いなおまいら。

運休の煽りを食らって、帰りの池袋駅は大混雑。人の多い所は好きじゃないので足早に去る。
ちなみに止まった電車の乗客は線路の上を歩けたらしい。
線路の上を歩いたと聞いて、映画のスタンド・バイ・ミーを思い出した俺は古いのだろうか。いやあれは古くない。永遠の青春映画のはずだ。
ちなみに実際の光景は↓のような感じだったので、スタンド・バイ・ミーにしては混雑しすぎ。

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みんなものすごく憔悴しきった顔をしている。俺だったら「線路の上歩けてる!」と思って嬉々とした表情になるんだけどなぁ。空気読めないんで。


全然関係無いけど、これすごくない?
1. 真ん中の4つの点を30秒間見つめ続ける
2. 壁をみる。
3. 目をぱちぱちしばたかせる。
すると!

偶像崇拝の禁止にもうまいこと対応してますな。

投稿者 野ざらし : 20:59 | コメント (4)

2006年04月23日

そこにシビれる憧れる

どうもこんばんは、今日も今日とて謎の外人からの電話で起こされた野ざらしです。こないだ「番号間違えてるよ☆」と優しく教えてあげたのに、また間違えるとは何事だ。
日曜の早朝の眠りを破るとハラキリだよ、って教えてあげようっと。日本の武士道をなめるでない。

ユニクロにあの荒木飛呂彦大先生のTシャツが売られているとのことで、これは魂を売ってでも買いに行かないといけないと思い立ち、一路東武のユニクロへ。
が、甘かった。案の定、無い。店員曰く、入荷して速攻で売り切れたと言う。さすがは大先生。
u36350.jpg

対照的に、草間彌生のデザインしたTシャツは山のように売れ残っていた。当人が見たらきっと鬱になるだろう。あの人はもともと鬱らしいが。
仕方が無いのでポロシャツやら五本指靴下(三足で390円!!!)を買って我慢することにする。店にいる間にも「荒木先生のTシャツってありますか?」と店員に尋ねる人が何組もいて、人気の片鱗を垣間見た気がした。

で、家に帰って通販を見ると、あったあった。取り寄せ中とは言え、あるじゃないか君。
周囲のブーイングにもめげずに注文してしまった俺に未来はあるのか。あると信じたい。俺の未来も取り寄せ中。うまいこと言った。

投稿者 野ざらし : 22:45 | コメント (0)

2006年04月10日

玉露、スライム、着色料

mixiやらブログやらで成分解析をする人が頻発しているので、ブームに乗ってみた。

野ざらしの成分解析結果 :

野ざらしの54%は怨念で出来ています。
野ざらしの41%はかわいさで出来ています。
野ざらしの2%は純金で出来ています。
野ざらしの2%は時間で出来ています。
野ざらしの1%は着色料で出来ています。

えらく組成が単純だなぁ、野ざらし君。
怨念とかわいさって同居できるのか?イメージ的には水野純子のイラストみたいなもんだろうか。

あと本名でやってみた。

高橋 ○○の成分解析結果 :

高橋 ○○の44%は希望で出来ています。
高橋 ○○の41%は罠で出来ています。
高橋 ○○の7%は食塩で出来ています。
高橋 ○○の4%は陰謀で出来ています。
高橋 ○○の2%はスライムで出来ています。
高橋 ○○の1%は玉露で出来ています。
高橋 ○○の1%は睡眠薬で出来ています。

希望の成分が多すぎる気がする。もうちょっと陰謀と睡眠薬を増やした方が実情に合っているかも知れない。
希望と罠と陰謀が渦巻く伏魔殿のような男ですが、これからもよろしくお願いします。

投稿者 野ざらし : 21:53 | コメント (0)

2006年04月08日

足がボールを吸い寄せた

海老名でフットサルの大会で、なんと6時起き。そしてこういうのは何故か寝坊しない。学校の授業は寝坊しまくりなのに。

で、大会の結果。

ゆゆゆ、優勝しましたー!嘘じゃないです。↓は優勝賞品。

賞品.jpg

久々にやった割には意外に動けたことと、(賞品がかかっているせいか)みんなのやる気があったことが勝因。俺含め、うちのチームは人参をぶら下げないと走らない馬のようだ。
なんにせよこの結果は、幾多の敗戦から得てきたものがようやく実ってきた証拠かも知れない。喜べるだけ喜んでおこう。わーい。
あとはこの勝利がフロックでないことを、次の試合で証明するだけである。

投稿者 野ざらし : 20:31 | コメント (0)

2006年04月02日

あなたの知らなくてもいい世界

えー、mixiにも書いたんだけど、今朝金縛りに遭いました。
なんかが上に乗っかってました。布団ひっぺがされそうになりました。
こえーよぉ。毛布とサッカーボールは俺の友達なのに、引き離すなよぉ。
そもそも呼びかけが通用する相手だったのかも分からない。社会人で言うところのヘッドハンティングとかスカウティングみたいなものだろう、と出来るだけポジティヴに解釈しておく。訳の分からない解釈。
でもぶっちゃけ夜中に一人で部屋にいると怖いです。小動物です。
もう金縛りなんて怖くない!」という妙に啓発的なサイトいわく、金縛りは睡眠麻痺という状態らしい。睡眠なんだか麻痺なんだかはっきりしてほしいというのが本音。


気を取り直して。
TAHITI80の曲がダウンロードできるらしいっすよ皆さん!しかもたまにラインナップが変わるらしい。小出しとはいえ粋な計らいだ。
久々に聴いたけどやっぱTAHITI80は良い。ファーストアルバムが出たのが2000年ってことは高校以来のお付き合いだから、けっこう長いこと聴いてることになるけど、飽きないもんだなぁ。
彼らの母国のフランスに行くと「誰それ?」みたいな扱いらしいけど。日本で受ける洋楽ってのもいいじゃないかと思う。

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うひょー、「puzzle」のジャケットが懐かしすぎる!明日借りてこようっと。

投稿者 野ざらし : 23:11 | コメント (0)

2006年03月29日

昔踏んだ薄氷

いつ学校が始まるのか分からないので、掲示板を見に本郷へ。6日からだそうで、四月に入ってからも結構休ませてくれることが判明。
折角本郷まで来たので、キャンパス内の博物館で、骨やらウニやらを見る。
参りました。完全にウニをなめてました!
トゲがあるウニどもなんかほんの一部しかいなくて、ほとんどがフジツボの巨大化したバージョンというか、どう考えてもやすやすとは食えないやつらばっか。「スカシカシパン」とか、いかにも美味そうなのも展示されてたけど、どう見ても菓子パンとはほど遠かった。分厚い苔にしか見えん。
あ、でも生きてるスカシカシパンは確かに美味そうだわ。ドラ焼きの代わりになりそう。

ついでに入学試験の成績開示を請求しに行く。
結果を見たけど、いやいやいやいや、あと5点少なかったら落ちてるじゃん!あぶねー。最低点ではなかったことが救いか。
誰も教えてくれないのをいいことに平然と歩いてきたけど、実はすぐ横は断崖絶壁だったような感覚。
ま、まぁでも、文系に限った話をすれば、入学時の成績と入学後の成績に相関関係は無いらしいからね!ほんとだかんね!
交付された成績の紙は、野ざらしの最高機密として丁重に埋葬しようと思います。鳥葬と称して不忍池の鴨に食わせることも一瞬マジで考えた。

あぁ、また暫く本の感想を書いてない!近々書こう、とネットに書くことで自分にプレッシャーを与える作戦。作戦が自分にばれている以上、効果のほどは期待出来ないのだが。

投稿者 野ざらし : 22:58 | コメント (4)

2006年03月24日

夢判断なんて信じない

ほとんど見た夢を覚えていない俺が、珍しいことに夢を覚えていた。

小会議室みたいな所で、誰か偉い人に「じゃがいもは、みんながおいしく食べるために品種改良していったんだけど、さつまいもはみんなが大きさを競うために品種改良していったんだよ」と言われる夢。
テレビをつけっ放しで寝て、テレビの音声か夢の中なのかが分からなくなった、ということがよくあるので、念のため日本いも類研究会のページで調べてみるも、該当する文は見当たらず。

夢とは脈絡の無いものだということを差し引いても、何ゆえにこんな夢を見たのか皆目見当がつかない。別にじゃがいももさつまいもも、食べたいと思ってない。
百歩譲って「おさつどきっ」を常時食べたがっていることは認めるが、それを認めたとしてもどっから上記のような理屈がひねり出されてきたのか。まさに夢のようだ。脳こえぇ。

今日の日記はほんとに日記っぽい。

投稿者 野ざらし : 21:02 | コメント (0)

2006年03月19日

OKの意味は大丈夫です

土曜日に東京から帰ってきた。実家に帰ってから、一週間ずっと外出しないという快挙を成し遂げた俺に怖いものは何も無い。でも太陽の光に恐れを抱きつつある自分がいたりする。あと三月の中旬なのに平気で雪が積もる福島も恐ろしい。要はまだまだ怖いものだらけ。

実家から東京に戻るときの新幹線内での一コマ。
座った席が車両の最後尾だったため、座席の後部に微妙なデッドスペースが存在していた。
背もたれを下げてゆったりしていると、外国人と日本人数人がいそいそとアタッシュケースをデッドスペースに置き始めた。
迷惑をかけないように背もたれを上げると、外国人が「O.K., Keep your seat」と。俺は「No problem」と返した。
数回、オーケーとノープロブレムのやりとりを繰り返していると、後ろからおもむろに日本人が、こともあろうに、

「大丈夫です、って言ってます」

と言い放った。
思わず自分の耳を疑った。もしかしてこのジャップは、「O.K.」を訳したのか?いやいや、そんなことはあるまい、と思っていると、もう一言、

「大丈夫、ってこの人は言ってるんですよ」

きた。確定。こいつは俺が「O.K.」を知らないと思っている。もしくは馬鹿にされてる。
さすがの俺も切れそうになったが、訳したジャップはそそくさと前方に消えてしまった。仕方なく隣に座った外国人とサッカーの雑誌をネタに微妙なコミュニケーションをとったが、ジャップ前の座席からいちいち通訳をしたがっていた。
やめれ!俺の英語が下手なのは分かってるし、お前の翻訳能力もトイレの芳香剤のごとく堪能したから、やめれ!


結論。過剰な親切をすると、逆に自分自身の品位を貶めます。

投稿者 野ざらし : 23:56 | コメント (0)

2006年03月09日

文明から離れる前前夜

乙一の『平面いぬ。』読了。
それほどサプライズのある物語が書かれているわけではなかったが、かと言って誰にでも書ける話でもないという、その微妙な隙間に乙一がいた。
「展開が読める」ということと「俺でも書ける」というのは、近しい関係にあるようで、あくまでも別次元での話であって、乙一のは前者であり後者ではない。その分ドキドキせずにページをめくれるというはある。
かるーく読めて、後味すっきりみたいな本を読むのは久々だったので、新鮮と言えば新鮮だった。が、かるーく読めてしまうがゆえに、実は結構バリエーション豊かな文章をしたためていることにはなかなか気付かれない作家なのではないだろうか、乙一という人は。そうだとしたら報われないなぁ。
巻末の解説に「持ってないゲームの攻略本を見て妄想した」と書いてあったが、実は俺もやっていたことなので、軽く親近感を覚えずにはいられなかった。同じことをしていた割に、乙一のような文才には恵まれなかったが。


ちくま学芸文庫を買った時に応募券がついていたので、喜び勇んで応募しておいた『ちくま文庫解説傑作集』が届いた。

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解説だけで楽しめてしまう文章は、最早解説と呼べるのかという疑問は湧かないでもない。
良い解説になればなるほど、一般的な意味での解説ではなくなってしまうという逆説!


明後日から実家に帰って山ごもりするつもりでいるのだが、伸ばしっぱなしの髪で帰ると、近所の謎めいた床屋に強制収容されて刈り上げにされかねないので、大人しく東京で切ることにした。
予約して分かったのだが、なんと去年の7月から切ってないらしい。就活してないのがバレバレだというのは置いといて、ここまで切らないのは新記録かも知れない。
若干、禁断の「ロン毛」の領域に入ってしまっている自分。きもい。

投稿者 野ざらし : 21:13 | コメント (0)

2006年03月06日

好意の質流れ

突然、姉がritmo latinoの時計を進呈してきた。曰く「オメガしか使わないから」という。
俺は不用品の再利用業者ではないのだが、と思いつつも、自分では時計に諭吉を何体も生け贄にしないのは目に見えているので、ありがたくもらっておく。
何の気なしに「もらい物?」と聞いたら、肯定しつつも何かお茶を濁すような発言。姉の彼氏を知っている限り挙げていったが、その方々からの貢物ではないと言う。ただ、ぼしょぼしょ言っていた中で聞き取れたのは、「上司」というキーワード。
これ以上深く追及することに命の危険を覚えたので、納得した素振りを見せたが、脳内でデスノートのL張りに様々な可能性を巡らす。
結果、
①不倫もしくは浮気
②一方的に姉を好いている上司からの貢物
③上司がとっても金持ちで、姉以外にも時計クラスのプレゼントを振舞っている
の三択に絞られた。③はほぼ無い。とすると①か②なわけだ。
真偽のほどは知るべくも無い、というか①だった時に「お前は知りすぎた」と言って口封じされかねないから知ろうとしないのだが、どっちにしても上司から姉への好き好きベクトルが俺に辿り着いてることに変わりはなく、時計がやや呪物めいて見えてくる。
姉の上司さん、あなたの好意は僕が受け取りました。いい迷惑だろう。

ここから追記。
時計の保証書を見せてもらったら、購入日時が1995年と記されていた。古っ。
①や②の上司が、そんなに昔のものを贈るはずもない。ということは、
④上司が要らなくなったものを姉にあげた
ということになる。そして姉も要らなくなったので、最終的に俺に行き着く。さながら不要物の終着駅のよう。

投稿者 野ざらし : 21:38 | コメント (0)

2006年02月26日

鞠を蹴り日は暮れぬ

朝からフットサルのために新宿へ。寝たのが午前4時で起きたのが午前6時という強行軍ぶり。
早朝、休日、雨天という、人が外出を避ける要素は猪鹿蝶で揃ってるというのに、新宿にはわんさか人がいたのには驚かされた。首都の力か。
新宿からチームの長のメルセデスに乗せてもらい、はるばる神奈川の海老名市へ。睡眠不足と乗り心地の良さで何度も寝そうになるも、涎でシートを汚した時に流れるであろう空気を考えて置き続ける。そうさせるのがメルセデスクオリティー。
で、海老名市の体育館に着いてフットサル。
相手がむちゃくちゃ上手くて、チーム内の意志が「いかに勝つか、もしくは点を取るか」ではなく「いかに相手から学ぶか」に素早くシフトした様は、今考えても涙を誘う。そのくらい実力の差があったということなんだけど。
終わってもまだ12時というのは希望があって良かったのだが、昼食をみんなで食べて新宿まで送ってもらって、電車で帰宅すると既に17時。
疲労と、明日筋肉痛になるという揺るぎ無い確信が残る。勉強に支障が出ないといいなぁ。既に腰は悲鳴ともきしみともつかない音をたてている。出来の悪いアンドロイドのようだ。

あ、本の感想書いてない。明日の勉強が納得いったら書こう。

投稿者 野ざらし : 20:19 | コメント (0)

2006年02月23日

一瞬のための一時間

昨日は、昼から自主制作の映画を撮っている友達を手伝いに行った。ロケ地は向丘のとあるお寺。
住職が何故かパルプの製造法の特許を取得していたことには爆笑した。
ちなみに手伝いと言っても、当然ながらセリフがあるわけではなく、照明やら暗幕やらのお仕事。監督である友人以外には全く知り合いがいないというかなりのアウェーだったが、なんとかピエロを演じて仲良くなれた。偉いぞ自分。
結局13時から15時までの予定だったのが、23時までずれ込むことに。びびった。
映画を作るってことはそのくらいのこだわりがあって初めて成立するものなんだろうけど、すっげー大変だった。10秒くらいのカットを撮るのに30分かけるというのは都市伝説でもなんでもなかったのですよ。
監督に人徳があったり、映画に対する相当な憧れが無いとやっていけない世界だ。義理や人情程度のものでは最後までついて行けないと思う。友人にはそれがあるのだと思うと、ちと嫉妬してしまった。確かに魅力のある人物なんだけど。
ともかく、俺は一日だけでかなりお腹いっぱいになってしまった。映画人すげーよ。

んで今日は、昨日出す予定だったけど、映画の手伝いで出せなかった司法試験の願書を提出することに。
住んでいるのが住宅街というのもあるからだろうが、東京に来てもう4年になるので、もはや写真屋も郵便局員も顔見知りであり、「今回は何の試験に使うの?」とか「司法試験っていつ頃なの?」とか聞かれた。みんな「頑張ってね」と言ってくれた。下町風情っぽくて和む。
あとは勉強しようにも昨日の疲れが全く抜けてないので、ひたすらブクログに本を追加。頭を使わなくていいから、疲れている時は単純作業をするに限る。
それにしても多い。まだ終わらない。安請け合いしなければ良かったとちょっとだけ後悔。

投稿者 野ざらし : 21:44 | コメント (0)

2006年02月03日

悲しむ人は多いほどよい

数日前のことだが、ナムジュン・パイクが亡くなったらしい。テレビで報道しろよ!ライブドアの株価ばっか調べてないで!
去年の末にICCで「K-456」というロボットが闊歩しているビデオを見て、「やっぱりいつの時代でも、斬新なものは馬鹿と紙一重な人が作るんだな」と感じ入った記憶もまだ鮮明だっただけに、つまり、最近になって愛着が沸いた人物なだけに、とても悲しい。↑の感想は絶賛してるつもりです、一応。
ただでさえ最近生活が荒んでるんだから、もうちょっといいニュースを流してくれると嬉しいのだが。「ナムジュン・パイクが生き返った!」とかがベスト。
なにはともあれ、ご冥福をお祈りいたします。
ちょっと涙目。年なのかねぇ。

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投稿者 野ざらし : 13:56 | コメント (2)

2006年01月29日

瞬きもできない休日

昨日は会社法の授業を受けに、午前中から渋谷へ。伊藤塾の近くのアニメイトが新装開店の日だったようで、開店時間の前から長蛇の列が。
(伊藤塾の生徒)∧(アニメイトの常連)はどのくらいいるのかが気になったが、もはや亜空間と化した店の前で客の顔を物色する勇気などあるはずもなく、大人しく授業を受けることにする。
帰ってからちょっと勉強して、夕方からは東洋大学の印度哲学科の友人と飲みへ。
感想。印哲は狂っている。部室の中でマッチをタワー状に積み上げて一気に燃やしたり、噴水に飛び込むためにわざわざ褌を買ってきたりするらしい。今うちの大学でそんなことしたら、「あぁ、試験勉強のし過ぎで頭がおかしくなった奴がいるな」くらいの感じで蔑視されること請け合い。
焼酎を飲まされたためかなりの酔っぱらい具合で帰宅。

今日はどうしたかって?…さっき起きたんだよ…。二日酔いの底力を侮っていた。起きて時計を見た時の絶望感を分かってくれるだろうか。
と、とにかく、これから必死こいて勉強します。

雑誌で見たAdam Fussという写真家が気になった。
いかにもアートアートしてるし、何が良いかと聞かれると困るけど、何か訴えかけてくるものがある…気がする。
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投稿者 野ざらし : 19:53 | コメント (0)

2006年01月25日

今日の出来事を一文で表してみた

「あんまり日記チックなことばかりを書くのは控えたい」とのたまったにも関わらず、何事も無かったかのように日記をつけてしまうのは、ひとえに学部のテストが今年に入ってからの日常を支配しているせいであって不可抗力なんです、と弁解してはみたものの、そう言ってテストを免罪符のように使って妥協している自分に多少嫌悪感を覚えつつ、そんな怠惰さの表れは自身の本質に極めて肉迫していると思い、今日はひとまずこのまま日記チックな記事をつけてみようと思って、はてさて何を書こう、そう様々な出来事に思いを巡らせていると、まず思いついたのは今日の授業のヌルさであって、救命実習用の人形をぺっこんぺっこんしただけで20点もくれるのは法学部でも是非実践してほしいという叶わぬ願いに思いを馳せたり、近くにいた女性のデニムジャケットがやたら短いこと(*1)に対して、腹は冷えないのかと心配になりつつも、服のことを無闇に突っ込むとものすごく逆上されたり落ち込まれたりするので、お前の内臓が冷えて機能不全になってとしても俺の知ったことではない、と放ってはおいたが、それにしてもどうして人は逸脱した服を着たいと思いつつも、その逸脱ぶりを指摘されたときに感情を露わにすることが多いのか、と考え込んでいたら、読んでいた『健全な肉体に狂気は宿る』に、「たぶん服装というのは、その人の一番弱い部分とか感受性のやわなところが外部に露出しているところなんでしょうね」という一説を思い出して、なんとなく合点がいったが、では何故そういうやわな部分が服装に出てしまうかは疑問のままで、ゆっくり思案していこうと思ったのはいいが、こんなことをつらつらと書いても誰も何も言ってくれそうにないので、わざと読みづらい文章にして、文の構造に全責任を押し付けたがためにこのような見苦しい文章になったことを、最後まで読んでくれた方にお詫びしておきます。

*1 参考写真。今日見た人もこのくらいだったから、短すぎるよやっぱ。

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投稿者 野ざらし : 20:18 | コメント (0)

2006年01月22日

誕生日のついでに少し考えた

このブログって、日々の日記を書く目的でやってたものではなくて、本の感想とか、ちょろっと考えたことを蛇口の壊れた水道のように垂れ流すつもりで始めたのだ、ということを思い出した。
必ずしも今の状態は望んでいたものではない。「出来事と雑感」のカテゴリーがいびつに膨らんでいることが、それを物語っている。(ちなみに、買い物のカテゴリーが膨らむのは予想できていた。普段の買い物を回数を数えていれば当然分かる。)
過去の自分の心理を手繰り寄せてみると、恐らく他人のコメントを求めすぎたのだと思われる。当初にあった目的と、その過程で生まれた欲望の不一致。ここらで矯正しとかねば。

えー。
ということでこのブログは、もうちょっとディープな方向に進んでいきます。
時折他人の意見を求めることがあるだろうけど、基本的に独り言のような記事が多くなると思われます。自省している所をを覗いてるようなものと思って、傍観してて下さい。
でもたまに「一応見てるから」的な意味も込めてコメントしてくれると、結構嬉しかったり。

ところで。
原美術館には一度行ってみたい。ホムペのフラッシュが凝りすぎてて、とってもアートな場所なんです!みたいな雰囲気をぷんぷんさせてる感は否めないが。
mixiの書き込みによると、ここのカフェのケーキの品揃えも展示に合わせて変わるらしい!スウィーツなものが好きな僕としては非常に心憎い真似をされた感じがする。

投稿者 野ざらし : 23:15 | コメント (0)

2006年01月21日

ふ・ざ・け・る・な!

今日は誕生日だというのに雪中行軍の予定。渋谷で会社法のお勉強。メガネが曇るしほんとに嫌だ。雪国出身だからって雪には慣れたりしない。くっそー、おめでとう自分!!

キットカットって、受験応援キャンペーンをする前(野ざらしが現役の頃)は、僕の周りでは「キットカット=きっと足切りに遭う」と言う理由で、一次選抜がある大学を受ける人は食べるのを敬遠していた(しかも当時の乙会の投稿にも載っていたことから、少なくとも福島だけの現象ではなかったと思われる)んだけど、一面に電車の広告を使ってあざといくらいに受験生を応援してるのを見ると、時代の流れとともに営業戦略の効果の凄まじさを垣間見てしまう。ちらほら流れてるくらいの噂なんて軽く吹っ飛ばしちゃうもんなぁ。
それにしても、不安になってる所に乗っかって商品を買わせるのって、ぶっちゃけ宗教の手口と一緒じゃなかろうか。受験してると「きっと」程度の物にもすがりたくなるものだから、決して悪質なものではないんだけどね。
でも、たとえ僕が今年の受験生だったとしても、センター前日に地下鉄の広告を占領したり、歩道一面に桜の絵を貼ったりすることまでやられると、ちょっとあからさま過ぎて嫌味に感じてしまうような気がする、少なくとも元気付けられたりはしないと思うのだけれども…当時のささくれ立った気分でなら「俺のこと知りもしないくせに、サクラサクよとか根拠も無く言ってんじゃねぇよ」とか言いそう。
それは昔から僕の性格が歪んでるだけですかそうですか。

ああー外出たくないよー。最高気温3℃って、おい。

投稿者 野ざらし : 08:31 | コメント (0)

2006年01月15日

普通っぽい休日の過ごし方

『ソラリスの陽のもとに』読了。いやぁ、ハヤカワSF文庫って理系オタ風味の学生が読むものだとちょっと前まで思ってたけど、まったくもって見当違い。掛け値なしに傑作だったので、後で感想書く予定。それにしても最近読書のペース落ちてるなぁ。なんとかしたい。

昼はごりごり勉強。民法終わらなくて死にそう。つぅか意識は度々とんでたから、その都度死んでたとしても不思議ではない。

夕方からフットサル。今年初だからドカンとゴールを決めたかったが、取れず。全体的にプレーの質は向上したような気はするが。股抜きを決めたことはちょっと嬉しかった。当事者以外は誰も気付いてなかったけど。
しかしフォワード的な立場だけに、点を取らないといかにも「フォワードは点を取れない」という日本代表の呪縛にかかっているようで嫌だ。


今までの話とは全く関係ないけど、Philippe GUILLERMの彫刻に一目惚れした。

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いやーよくできてる。バイオリンを色んなものに見立てるシリーズとかすごく好き。
バイオリンに本来備わっていないはずの柔らかさを彫刻で出せるっていうのは、絵画でそれを出すのよりも難しいと思う。まず既成概念を打ち破ることに壁があるし。
こういうのを見てると、脳がいい具合に揉み解される一方で、想像したものを言語とは違ったやり方で表現できる人というのが羨ましくて仕方なくなる。生まれ変わったら靴職人あたりになりたい。


投稿者 野ざらし : 23:01 | コメント (0)

2006年01月09日

買った本 2005年 1月8日 と二日酔いの威力で12時間睡眠

ダ・ヴィンチ 2月号 メディアファクトリー 450円
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すっげぇ久々に雑誌を買った。そして初めてダヴィンチなる雑誌を買った。
それもこれも、猫村さんの特集をやっているせいであり、まことに猫村さんの愛くるしさが憎らしい。そして愛くるしい。
ま ぁ 深 津 絵 里 も 好 き な ん だ が 。
俺のように猫村さんに惹かれてレジまで持っていった人が続出しているのなら、メディアファクトリーも頭が下がらないことだろう。
そもそもダヴィンチって読書のための雑誌なんだけど、ネットで本のお薦めサイトが山のように検索できる昨今だから、こういうコラボをして部数を伸ばさないとやってられないっていうのも現状なんだろうなぁ。
俺は「面白い本は自らの足と目で見つける」派なんで、どっちもあんまり参考にしないんだけど。
なんでどっちもあんまり参考にしないかというと、最近、色んな本についてネット上に書いてある推薦文を、そのまま自分のことのように話す人が結構いたりするじゃないですか。下手すると雑誌の文を書いてる人のソースも、ネット上に山のようにある文章だったりするわけで。
そういうコピー&ペーストが積もり積もって「各方面で絶賛の嵐!」みたいになってるのなら、それに流されることが馬鹿らしくてしょうがないな、と思ったのですわ。
実際、『博士の愛した数式』を風潮に流されて買って、もんのすごく損をした覚えがあるのですよ。あんなののどこが面白いのか!と声を大にして言いたい。
あ、『きょうの猫村さん』はそういう本ではなく、ちゃんと人気にたがわぬ面白さを持ってる本のはず。少なくとも猫好きは絶対ハァハァする、と俺は感じたが、どうなんだろう。

投稿者 野ざらし : 01:31 | コメント (2)

2006年01月05日

はいはいあけおめあけおめ

やっと東京に生還。路面凍結による転倒はもちろんのこと、寒さのあまりに吐き気を催すという奇天烈な振る舞いをしてしまったものの、なんとか帰って参りました。

12月29日の寝床は結局確保できなかったけど、どういう勝算があって作ったのか理解に苦しむROUND1が出来てたのが救いだった。部活の同窓会の二次会が終わって、電車で帰れなくなった(東京と違って最終が22時ちょい過ぎ)面子と行って、ひとしきりインラインスケートとかテニスを楽しんだ後は、閉店までずーーっとフットサル。3時間ぶっ続け。朝までフットサルなんて今後二度と出来ないし、やろうと思ってもそうそう人数が集まらないだろうから、とても貴重な体験をした。楽しかったし。屋上だから死ぬほど寒かったけど。
で、実家へ。路面の悪さもあって、福島駅から車で一時間半かかった。

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福島市なんか甘かった。寒さの桁が違う!天気予報を見てた感じだと、東京の最低気温が実家の最高気温って考えてもらえばだいたいオッケーです。
部屋の温度が2℃とかね、もうね、バカかと。アホかと。
あと「凍って水が出なくなるからボイラーのスイッチ切らないでね」とか言われてびびった。やっぱ今年の冬はどこも格別に寒いらしい。

家では、何もすることが無いのとフットサルの筋肉痛がすさまじかったのとが相まって、スーファミやったり映画見たり本読んだり、稀に勉強したりという自堕落を絵に描いた様な年末年始を過ごしてしまった。心なしか少し太った気がする・・・。
映画は『ソラリス』と『CUBE』。ソラリスはよく分からなかったとしか言いようが無い。映像は綺麗だった。
CUBEは2回目なので、安心して楽しめた。俺があんな所に入れられたら生き残る自信は皆無だけど。

帰りに親に鞄を買ってもらう。ポーターのネルソン。でかい。何でも詰め込みたがる俺には最適の一品。やたらと丈夫だし。
今まで使っていた鞄も、もう6年目に突入しようかというくらいずっと使っていたので、物持ちは悪くなかったほうだと思う。

明日は帰っていきなりのバイト。今まで14時起きだったのに、遅くとも8時には起きないといけない。生活のリズムは戻るのか、乞うご期待。
それにしても、明日バイトが無かったら、代官山のUNITにFPMの田中さんを見にいけてたのになぁ。残念でならない。

投稿者 野ざらし : 21:16 | コメント (2)

2005年12月28日

「寝たら死ぬぞ」の世界へ

明日は鈍行で帰ることが決定した。5時間の旅。念のため親に連絡してみたところ、下手すると最高気温が氷点下だそうだ。12月でそんなのって、福島でもあんまり聞いたことないぞ。
とりあえず、街頭でもらっては貯めておいたポケットティッシュを出してみる。ちょうど10袋。これなら道中に鼻をかみまくってもそう簡単には無くならなさそうだ。
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どうせ実家に帰ってる間は何もすることが無くて、仕方なく勉強するだろうから、今日は主に読書して過ごす。
鷲田清一「ちぐはぐな身体」と奥田英朗「サウスバウンド」読了。感想を語りたくなるほどではないけど、両方とも面白かった。

今気にかかっているのは、明日の寝床のことだ。
高校の同窓会を福島市でやるのだが、実家は車で一時間強。おまけに肝心の車を運転出来ないので、必然的にどこかに泊まらなければならない。
でも友人の家にお邪魔させてもらうのは、年末という時節柄、どうしても気が引ける。時差のある友達とか、精神と時の部屋に入ってる友人とかいればベストなんだが。
デニーズで一晩粘ろうかと思ったら、福島の友達から「深夜のデニーズはヤンキーがたまってるし、窓越しの寒気が侮れないくらい寒い」と言われたので、最後の手段に格下げ。そう言えば福島では結露が凍るのを思い出した。それにしても年末までデニーズにたまるとは、殊勝なもんだ。
なりふり構わなければ(つぅか寒さに耐えられなくなれば)友人の家にだって押しかけるし、DQN犇くデニーズにだって居座るのだが、今のところ何のアポイントメントもとっていない。あくまで予定は未定。
はぁ、タクシー?福島のどこにそんなの走ってるんだよ!漫喫?俺の知る限り、福島にはそんなもの無いです(涙)
最悪の場合、自動精米機のプレハブの中とかで過ごそう・・・。

投稿者 野ざらし : 23:38 | コメント (0)

2005年12月24日

遠くのサンタより近くの天皇

というわけではないのだろうが、うちの界隈では23日に祝い事をする人ばかりだった。
バイトを終えて代官山にジーンズを受け取りに行き、ついでにDEPTやらROSE BOWLなどの学生に優しい店で、お年玉で何を買うかの概算をして、「まずは節約から」という結論に至り渋谷まで歩いて帰った後に帰宅し、家で勉強をしていると、姉とその友人がコスプレパーティーをしに来た。コスプレをしていないのは俺だけだったので、必然的に写真係になる。
完全に「マイナーアイドルの写真を撮るアキバ系カメラ小僧」と同じ構図になっていることに気付き、眩暈を起こした。とは言えケーキと鍋のおこぼれをもらえたのでよしとする。むしろマンセー。
コンビニに行きたくなりちょっと外出してみると、いつも髪を切ってもらっている近所の美容院が、キャンドルでライトアップされている。前を通ると手招きされたので、誘われるままに入ってみると、夫妻から酒を振舞われる。キャンドル300個を用意するのに4~5万かかったそうだ。「経費節減っていつも言ってるのに…」と口では言ってるものの、明らかに嬉しそうな表情をしている妻の姿がとても印象的だった。
23日が祝日なので、その分イヴは仕事、という人が、どうやら社会人の大半を占めているようだ。姉も姉の友人もイヴは仕事があると言っていた。
冬休みの偉大さを思い知ったので、もうちょっと学生をしていたい気分になる。

今日起きて郵便受けを見ると、ありましたよクリスマスプレゼントが。TOEICの結果が郵送されていた。まぁ結論から言うと、一応700は越えたものの、俺はリスニングが出来ないということのようです。読みは出来るが聞き取りが出来ないという、典型的日本人。
ともあれロースクールの足切りラインとされる680はクリアーしたので、ほっと一安心。最近あまりいいことが無かった中の朗報。
サンタは彼を待っている人のもとへやってくるのですよ、みなさん。

投稿者 野ざらし : 14:22 | コメント (0)

2005年12月19日

おまいらサンタクロースって奴知ってるか

なんかプレゼントくれる太っ腹な奴らしいな。

うちにはサンタ毎年来ないけど、突然姉(姉歯とも言う)がプレゼントをくれました。ipodシャッフルとleminorの帽子です。

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まぁどっちもお下がりなんだけど。もう一回言っておくとセカンドハンドです。おまけにシャッフル壊れてます。

しかも姉はipod nano買ったとか言って、よく分からない薄い板を見せびらかしやがる。そんなののどこにビートがスウィングが、パッションがあるって言うん…あ、あるじゃねぇか!!どうなってんだ!!この板!板め!!

と、ここでピンときた訳ですよ。
「姉=サンタ説」。
世間一般で言う「クリスマスプレゼント」ってのは、実は全部うちの姉のお下がりだったのです。
だからプレゼントをもらった良い子のみんなは、うちの姉に感謝するといいよ。彼氏とかひげもじゃで赤い服のおっさんじゃなくて。

投稿者 野ざらし : 02:13 | コメント (0)

2005年12月17日

はしゃいじゃって良いのかな

どどどどど、どうしよう。
とあるフリーの物書き様(しかも見聞の狭い俺が著書を持っている)から「よろしかったら一度お会いしませんか」とのお誘いが…!嬉しい晴天の霹靂。
いつになるかは未定だが、個人的にはフイにはしない気満々。舞い上がったあまりに具体的な日取りまでメールしてしまった。あちらは多忙だというのに。
しかも多分サシときたもんだ!な、何を喋ったら良いものか。恐らく人間とボノボくらいは知的レベルに差があると思われるから、あまり背伸びしたところで微笑を浮かべられそうなのは想像に難くない。
話しは逸れるけど、wikiで見るとボノボってかなり頭いい。ライター使えるらしいし、パックマンやれるらしいし。俺≦ボノボくらいにしとこう。よし、じゃあサシじゃなくてボノボも連れて行こう。物書き様とひどく打ち解けるボノボ(煙草に火を点けたりしてさりげなくライターを使えることをアピールしたりする)の横で泣きながらハンカチを噛む俺、という構図が浮かぶ。…やっぱサシにしよう。

それにしても思ったのは、大人は出会いをおろそかにしないということ。大人の中でも、恐らく知的レベルに厳密に比例してるのだろうけど。
俺が逆の立場だったら、俺みたいな香具師なぞ気にもかけないところなんだけど、かけちゃうもんなぁ声を。たとえ気軽に誘ってくださったのだとしても尊敬に値する。
とりあえずもう一回著書を読もう。話はそこからだ。

投稿者 野ざらし : 19:03 | コメント (0)

2005年12月15日

引きこもれ、と呼ぶ声あり

今日はクラスの友人のライブを見に代官山へ。久々にこのおしゃれシティに足を踏み入れた。そして会場が分からなくて寒空の下を右往左往。ついでに怪我の功名みたいな感じでjournal standardとかsaint jamesの場所が分かったのでよしとする。
ライブは、わざわざ前座的な立場で来てくれたらしいキセルが良かった。MCもすごくテンション低いというか、だらだらしてて今の自分の精神的なペースに合っていた。
で、トリに友人がやっているlodgeというバンド(勝手にリンク貼っていいのだろうか)。曲は何度か聞いてるのである程度耳には慣れているのだが、友人が楽器落としたりしたらどうしようと心配になって、友人の一挙手一頭足を見まくってしまった。
相変わらずテルミンは電波を飛ばしてて、ラジオのチューニングをしているような不思議な気分になった。サイケデリック。
浮遊感というか心地よい意味での違和感を残して、ライブ終了。業界人に声をかけられてメジャーデビューの道が開けることを祈願しながら家路へ。
もう日付が木曜なのかよ!うわぁ、また明日がやってくるのか。最近不似合いにも外に出すぎな気がする。しかも今週末も飲みとスティグレールですよ。どっちも望んで出席するのだが、ふと我に返るとそのアクティヴさが理解できない。自分のことなのに。
きっとそろそろ家が俺を呼んでいる。コタツも大口を開けて待っている。

投稿者 野ざらし : 00:56 | コメント (0)

2005年12月12日

謎は謎だから謎なのです

昨日は永田町でフットサル。俺をフットサルに誘ってくれたカドマエ氏が暫くタイに滞在するとのことで、なんだか浮き立った感じでの練習になった。敵も含めてみんなカドマエさんにシュート打たせようとする。俺もシュート外しまくったけど、餞別というか申し訳程度に1ゴール決めた。ほっと胸を撫で下ろす。
終わった後に赤坂のさくら水産で送別会。主賓のカドマエさんは、餞別として鏡餅やらサッカーのゲームシャツ(タイ人とのコミュニケーションもサッカーで取ってほしいとの願いが込められているらしい)やらエロDVDやらを貰って喜んでいた。俺も「華麗にゴール外したね」などといじられながら、久々に刺身を喰らう。寒いけどウマー。えんがわウマー。そして酒が疲れきった足に染みた。カシスウーロンしか飲まなかったのに…。

で、今日。カシスウーロンの亡霊に祟られ、二限はお休み。miki氏にライブのチケットを渡しに行く約束をしているので、悲鳴をあげる身体を引きずりつつ学校へ。ちゃんと刑事訴訟法も受ける。偉いぞ俺。
授業後にmiki氏に会ってチケットを渡す。その流れで久々に経済学部の状況を聞いた。みんな就活で鬱なムードになってるようだ。「法学部は企業で優遇されるよ~」とも言われた。もしかすると俺のニューメガネ(テイ・トウワ、もしくはおぎやはぎの矢萩っぽい感じ)で面接を受けても通ってしまうかも、とのこと。マジか。大学に入ってから全く学歴の甘露を味わったことが無いから、いかんせん実感が沸かず、「はぁ」みたいな魂の抜けた返答をしてしまった。ともかく今の時期、生き急がされるのはどの学部も同じのようだ。苦しいのは自分だけと思わない方が賢明。
そうは言っても、他人から見たら俺は相当に自由人っぽく見えるみたいだけどね。こないだ知り合いに「お前、普段何やってんの?(かなり苛立った様子で)」って言われたし。要は「お前なんなんだ」に近い質問。俺ってそんなに掴みどころ無いですかそうですか。謎キャラを装っているつもりなど毛頭無いのだが。ちなみに「さぁ…」って応えてしまった。こういうのがいけないのかも知れないが、今回は反省はしない。だって本当に「さぁ…」だし。

最近joyceしか音楽を聴いてない自分に気付く。なんか無理やりブラジルのリズムで自分を鼓舞させてるかのような自分の無意識にちょっと辟易。でもやっぱjoyceいいなぁ、ほんとに。オフィシャルのHPに行って改めて感じさせられる。
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投稿者 野ざらし : 23:50 | コメント (2)

2005年12月11日

夢より夢のような空間

朝から「司法試験の択一試験に落ちる」という不快極まりない夢を見た余韻で、とっても気分の悪い目覚め。しかも思い出せる限りでは、なんか選択肢が国1っぽかった。マークの選択肢に坂口安吾とベルナール・スティグレールが出てきたことは覚えている。なんじゃそりゃ。ちなみにスティグレールは来週に来日するらしい。見に行くかも。

今日は冬支度に付き合ってくれる奇特な友人と池袋へ。
大遅刻した(ほんとすんません)ことと日頃遊んでもらってるお礼等々の、せめてものお返しとしてずんだ餅を手土産にプレゼントする。自分用に生クリーム入りのずんだ大福も買ったけど、美味。東北マンセー。

池袋パルコで長袖のTシャツを選んでもらうが、どれもこれもファンシー極まりない。俺はお前たちのおもちゃじゃないんだ!と思いつつもあっさり購入。
家に帰って着たら、似合う似合う。みんな俺よりも俺のことを分かってるのですな。と言うより「自己の欲望を他者で実現している」のか。
それは他人が俺を他人の望む鋳型に入れることなんだろうけど、結局そうやって自分も自分の輪郭をおぼろげながらに認知していくんだろうと思うので、そう悪いことではない。他者が俺を使って欲望を実現することによって、俺も自分の輪郭を認知して、多少明確になった自己の輪郭から引き出された自分の欲望を他者に実現させる。言ってみれば、互いの欲望をキャッチボールするその動きによって自己の姿をも形作っている。よく言われる「他人がいて初めて自分が何者か分かる」ってのはこういうことじゃないかなぁ。人間関係ってよく出来ている。

友人がマルイに時計を見に行くというので同行すると、途中で同じクラスのチアをやっている子に偶然会う。きっと立教戦を応援しに行ったのだろう。休日だけど頑張っているなぁと思いつつも、咄嗟に気の利いた言葉をかけられなかった。自分はアドリヴが利かない人間だと知ってはいるものの、無念。こういう時に何を言えるかって、人の印象を結構左右すると思う。そういう点では全然ダメポです自分。

今度は新宿に行って、友人の友人の演奏会へ。ちなみにフルート。
日芸行ってるだけのことはあって(と言う以前に、演奏の上手下手を判断するほどの審美眼を持ってないのはいかんともしがたいのだが。あ、でもピアノの音程が高いことは分かった。高校時代の遺産というか残滓というか。)、飽きさせない感じですぐ時間が過ぎていった。そして女の子のレベルが高かった気がする。いい目と耳の保養ですな。
結局2時間近く経っていたのだが、同じ2時間弱でも授業とは長さが感覚的にえらく異なっていた。授業も今日の演奏会のように、流れるように享受できたらどれほど楽しいか。
そして、自分の子供には絶対音楽を続けさせようとも思った。演奏する人が思っているよりも、人が音楽を演奏する姿は聴衆にとって美しく映るということが身に染みてしまった今となっては、子供にピアノを強制的に習わせる親の気持ちも分からなくはない。
これも「自己の欲望を他者で実現する」ことなんだな。
司法試験では自己の欲望を他者で実現しないように気をつけよう。

投稿者 野ざらし : 03:05 | コメント (0)

2005年12月08日

理解されることを拒否する言葉

ニューデザインパラダイスの作品の展示が銀座の日産銀座ギャラリーでひらかれてるらしい。この番組は割と頻繁に見てるので行ってみたいかも。番組を見た限りでは、犬小屋蚊取り線香月見団子が特に記憶に残っている。あとマヨネーズの穴もすごかったので、是非ギャラリーでマヨネーズをしぼり出すところを実演してくれることを祈る。

知人から岡本太郎の知られざる名言を聞いたので、特記しておく。
とある作家が某カルチャーセンターで「恋愛論」なる題で講演を行うことになっていた時に、偶然岡本太郎に会ったので、彼に講演の原稿を読んでもらった。
岡本太郎は原稿を一通り読んだあと、真剣な面持ちで顔を上げてこう言った。
「なにか質問ありますか?」
これにどういう返答をしたかまでは聞かなかったが、どんな言葉を返せようか。すごい、色んな意味で外れてるよ!暫くこの「なにか質問ありますか?」の使い方が俺の中で流行りそう。

投稿者 野ざらし : 22:42 | コメント (0)

2005年12月02日

寝る子は解脱

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(画像と本文は一切関係ありません。それはもう驚くほどに。)
ここ三日連続で10時間くらい寝てたら、さすがの風邪も「こんな寝てばっかりの奴の相手してらんね」と退散してくれた。わっしょい。
動けるとなったらもう止まらない、ということで明日は美術館めぐりをしてくる予定。勉強?あぁ、しますします(生返事)。
明日は道のりを考えると行かないだろうけど、六本木でヴィヴィアン・ウエストウッド展がひらかれてるそうな。こんな俺でも、辛うじてハンカチはヴィヴィアンのものを持ってるからギリギリ入場資格あり…かな。こういう系統の展覧会にはあんまり行ったことないから、一度くらいは忍び込んでみたい。門外漢とは分かっていても。

大学の図書館で長期貸し出しが始まったので、何を借りるか死ぬほど迷う。とりあえず『眼球譚』と『完全な真空』と『科学哲学の冒険』は確定したので、あと二冊。こんなの他の人にとってみればどうでもいい話なのかも知れないけど、年末年始の実家は雪に包まれた陸の孤島(最寄の本屋まで30km強!!ていうか隣家まで100m!!)に変貌することに加えて、俺は車を運転出来ないという事情があるので、本が面白いか否かは2006年を気分良く迎えるに当たって死活問題なのですよ。
テレビ見るにしても、実家が山の中過ぎてTBSとテレビ朝日も映んないし。どうだ、都会暮らしの君たちには想像もつかない世界だろう?おまけに雪がドカドカ降ったらBSも見れなくなるという体たらく。どんだけ選択肢を狭めれば気が済むのか。
まぁ「これはお薦め」みたいなのあったら教えて下さい皆様。まぢで。

投稿者 野ざらし : 21:25 | コメント (0)

2005年11月30日

今日も年末もどうしたものか

TOEICの後辺りからなんとなくのどがガサガサしている感覚はあったが、昨日の夜から顕在化してきて、体の重さ、だるさへと変わって今に至る。
これから一日が始まるというのに、もう終わりが見えているような諦念に襲われる。ネガティヴな意味で選択肢が狭まるのは、精神衛生にとってのカビみたいなものだ。やりきれない気分になる。

cholo azulの新譜(リンク先のページのちょい下の方で聴けます)を視聴してみたが、良い。きっと買うことになるだろう。なんだかんだで年末は出費がかさむ。果たして俺は年末に福島まで辿り着けるのだろうか…。他にもこれ(←哲学うんぬんじゃなく、一人の鬼才が書いた日記として非常に面白いです。きっと自己欺瞞を嫌う人って、後から見た自分の文章について回るきな臭さにも敏感だろうから、必然的に日記のクオリティは高くなるか、どこかで妥協するか、あるいは単に書かないかになるんだと思う。俺は二番目。)とか、あと長袖Tシャツとか。できればピンクとか緑を所望。欲しいものがてんこ盛りなのは今に始まったことではないが。とりあえず新幹線では帰れないかも知れないことは今から覚悟しておこう。
ちなみに一昨年に鈍行で帰った時は、吹雪のホームで一時間強も乗り換え電車を待つ破目に。本も開けない、というか眼鏡が無かったらまぶたが開けない。こういう機会はそうないと思って、やけになってアイスを食ってみた。最早アイスすら温かく感じられた。参考までに去年のうちの前の光景をば。

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まぁ青森の人に言わせたら「福島は東北じゃないよ」だそうなんだが。自分これ以上の寒さは無理っす。

投稿者 野ざらし : 10:49 | コメント (0)

2005年11月28日

些末事一括払い

TOEICを口実に更新さぼってました。ちなみに肝心のTOEICは時間内に終わらなかったという初歩的なミスを犯したので、もっかい受けること決定。

本郷の博物館で「ウニ展」がひらかれてるとのことで見に行くと、やってない、というか閉館してる。次の「アフリカの骨展」の準備だったようだ。
そういえば福島くんだりからわざわざ本郷に大学見学しに来た時も、ここの博物館は骨展をやっていた。そうか、この博物館とは、出会いからして骨だったのか。見学しに来た時の俺からしたら、今また骨に煩わされている自分など想像もつかなかったわ。じだいーはめぐるー。

仕方が無いので近辺を徘徊していると、東洋文化研究所という建物にたどり着く。入り口がなかなか面白いので思わず撮影。

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狛犬、なのか?微妙に違うような気がしないでもないが。なんにせよ場末にこんな彫刻があるなんて知らなかったわ。奥が深い。
ここまでは金曜の話。

ここからは日曜の話。
TOEICを受験する数時間前になって、そのうち祖母が手術するという連絡を受ける。テンションがた落ち。俺はおばあちゃん子だったので、ちょっと昔のことをぼんやり思い出してたら、危うく会場に遅刻しそうになる。
で、TOEIC本番。ドンマイ。リスニング出直してきます。リーディングもっと速くやります。

TOEICが終わったので、憂さ晴らしに池袋に繰り出す。
俺にしては珍しく、コートに付けるピンバッジが欲しくなった。アクセサリー好きな友人の影響だろうか。
コートが肉厚なため、ちゃんと刺さるものが見つからず、何故か携帯のストラップを買ってしまう。こんなはずでは…

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こういう雑貨を見ても思うのだけど、生き物ってのは造形が本当によく出来ている。
バランスがいい造形をしてるものは、意外と身近に多い、と書いて思いついたのは、音楽でよく使う折りたたみ式の譜面立て。最初に見たとき、楽器よりもそっちに見惚れてしまった記憶があるんだけど、俺は変態なんだろうか。

ふと、「大学でやらなかったら一生やらなそうで、かつあんまり回りの人もやってなさそうなことをしよう」と思い立つ。「潰れるまで飲む」とかは、みんなやってるので却下。醜いし。
しばしの思案の結果、箱庭療法をやってみることにした。手近にも大学の保健センターで出来るらしい。我ながら乙なチョイスだ。やったらブログにアップするので乞うご期待。

投稿者 野ざらし : 11:13 | コメント (0)

2005年11月23日

危険なふたり、というか取り合わせ

mixiをふらふらしてたらこんなの見つけた。
そこかしこに薄着の外国人女性がいるけど、男子諸君はクリックしたくなる誘惑に負けないでページの中ほどまで行って下さい。メントス&コーラ。びびるよ。
俺って口に何か入っててもお構いなしに飲み物飲んじゃうから、授業中にメントスを口に含んだままコーラを飲むってシチュエーションは余裕であり得た、というか偶然に今まで起こらなかっただけなんだよなぁ。こないだハイチュウ噛みながらコーラ飲んでた記憶はあるし、紙一重ですよ。大教室で吹く前にこの映像を見ておいて良かった。
あぁ、これ安田講堂前でやって「ネオ学生運動」みたいな写真撮りてぇ!願わくばこんな感じで。どんだけメントス入れればこのくらい噴出するだろうか。
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そして飛散したコーラに群がる大量の蟻さんたち。ざわ…ざわ…
しかし、蟻もアスパルテームとかL-フェニルアラニン化合物とかの人口甘味料に引っかかるのだろうか。人間は味蕾が騙されて甘いと感じているいる訳だが。
良い子のみんな、やる時は普通のペプシとダイエットペプシで対照実験してみよう!NHK的に締めくくってみた。


今日は深夜にレアルVSバルサが放送されるらしい。見ねばならん。
友達もmixiで貼ってたけど、これ見たらロナウジーニョに惚れざるを得ない。flashに進んだら、Ronaldinho Tiempo Legendってところから見れます。こんなん不可能!端的に不可能!


ブックオフに『平行植物』が売っていて、買うかどうかの葛藤により胸の内はちぢに乱れ、乱れすぎて整頓出来なくなる。なんじゃこれって思うかも知れないけど、この本を書いたレオ=レオーニは、あの『スイミー』の作者でもあったりする。んがー、買うほどではないような気もするが、想像力のレッスンにはいい素材だし、手元にあってもいいかとも反面では思ったりする。
論理的なものか情念に訴えるものかを問わず、自分がギリギリ受け取れるくらいの飛距離をもった言葉や映像というのは、自分の想像力の限界を自覚するためにも、その先に行くためにも大事なことは間違いない。自己の想像力は、他者の想像力を食って育つ貪欲さを持っている。
そういう意味では、今一番気になっているのは、レムの『完全な真空』かも知れない。なんせ「存在しない本たちの書評集」なんだから、惹かれないはずがない。このキャッチコピーにやられたなら、あなたは俺の同類です。はいそこ嫌がらないで。

追記。
ロナウジーニョすごかった。奴にスペースを与えてはいかんよ。人が死ぬようなスピードのドリブルだった。

投稿者 野ざらし : 20:10 | コメント (2)

2005年11月22日

買った本 2005年 11月22日 と高速英語

水声通信第一号 荒川修作の《死に抗う建築》 水声社 1000円
友人に勧めておきながら立ち読みでしか読んでいなかったので、いそいそと購入。
というかめぐり氏に頼んでおいたら最後の一冊だったとのこと。あざーす。
荒川修作の「三鷹天命反転住宅」がメインで載っているが、すげぇ。なんか無茶な住宅だ。
住むための建築物でありながら住む空間がどこにもなさそうで、ここに入居したら半空間の住人になりそうだ。概念と概念の間にねじ込んだ空間、って言ったらよかろうか。整数次元では表現できないフラクタルキューブを連想させられた。個人的には、着色する前の荒涼とした感じのまま完成させて欲しかったが。

TOEICのリスニングはえー。途中で泣きそうになった。じ、次回も視野に入れる方向で頑張るよ…!そもそも国語と数学を伝家の宝刀として大学に殴りこんだ俺には、700点という目標はハードルが高い感は否めない。むしろ日本語も放送ギリギリだというのに英語かよ。

投稿者 野ざらし : 23:33 | コメント (0)

怒涛という名の土日

19日から20日にかけてのこと。
9:00からフットサルの大会に出るため、7時に起きて大田区へ。無事着く。
学校の一限にはあまり間に合ったことが無いにも関わらず、フットサルにはあっさり間に合う自分に苦笑。
試合の結果は1勝2敗1引き分け。初めてにしてはかなり良い方らしい。まぁ俺はノーゴールだったが。前を向きたくてもプレスがきつくて向けないという、なんとも今の私生活を暗示しているかのようなプレイに終止していたことには反省。パスのもらいかた、もらってからの動き等々を年上のチームメイトにがつがつ教えてもらう。こういうときが年少者の役得かも知れない。

帰りの電車で妙な覚醒感の赴くままに、ずっと『メルロ=ポンティ・セレクション』を読んでいたが、俺がよく考えてる言葉の問題についてすっげぇ丹念に書かれていて、何故これを今まで読まなかったか(買ったのは去年!)と自分に少しがっかりする。それにしてもかなり夢中で読んだ。品川~池袋間で、恵比須駅の音楽がエビスビールのテーマだと気付いた時くらいしか顔を上げなかったことは特記すべきことかも。ていうかあの音楽をエビスビールのテーマって言っちゃだめなんですよね。ほんとは『第三の男』のテーマらしい。今の話に直接関係は無いけど、この映画は前から気になっている。

1:30帰宅。普段ならここで一日のイベント終了だが、土曜の俺はよく動いた。クララが立った!くらいの驚き。
4:00頃、友人の家に遊びに馳せ参ず。誕生日を祝福したお礼に、夕食やらなんやらかんやらを振舞っていただけるとのこと。手土産にマシュマロを買って行ったが、うまくて自分で半分くらい食べてしまう。自分がおいしそうと思ったものを土産にするのは悪いことではないが、だからと言って自分で食べてしまっていいわけではない。

ほんとに盛大にもてなしてもらった(中国の正月料理まで出た!!)。いったい何品料理が出たのやら。写真を撮らなかったために説得力に欠けるが、実際撮る暇も無いくらいに料理が出てきた。フォアグラにさせられて食われてしまう、もしやそれが今回の真の目的かと邪推すらした。
珍しくというか、久々に酒も一本飲んだ。アルコール4%だけどフットサルで疲れが溜まっていたのか、足の筋繊維に染み込むように酒が足にまわり、動きにくくなる。
申し訳ないことに泊めてもらうことになってしまった。まぁ旅の恥は掻き捨て、か。旅じゃないけど。

友人の家だという気兼ねもあったのか、あまり寝付けず、早めに目が覚める。うぅ、これが一限がある日だったらなぁ。つぅか友達の家でもお構いなしにくつろいでたつもりだったのだが、無意識レベルでは緊張してたことに気付く。
起きてすぐに「挨拶をして帰らないといけないが、そうすると確実に朝ごはんも振舞ってもらって申し訳ない気持ちになる」というジレンマに陥る。挨拶もしないで帰るのはさすがに失礼だと思い、朝ごはんを粛々をいただく。確実に粛々としてなかったが。
少しぐだぐだして、「そろそろ帰ります」の「そ…」くらいが出かかったところで、何故か昼ごはんの用意が始まる。あぁもうこれは返済できないくらいの恩を返すためにはジャパニーズハラキリしかないな、とさえ思った。「どうせ昨日の残りだから」って言ってたけど、なんか刺身とか出てきたし!全然昨日の残りじゃないじゃん!
で、せめてものお礼にもなっていないが、友達の弟の宿題を手伝わせてもらう。精神年齢が近いせいかも知れないが、結構打ち解けた。少し主従関係(もちろん俺が従の方)が形成されつつあったのが末恐ろしくもあるが。
言い尽くせる限りのお礼を言って帰ったのが午後5時。自分の図々しさに感動すら覚える。ほんとすいません、そしてほんとありがとう。

で、月曜がプライベートホリデー、言ってみれば寝坊によるさぼりになったのは言うまでもない。せっかく水曜日は公的なホリデーなんだし、明日はちょっとは学校に行きたい。もし明日もさぼると週2日か。ほとんどバイトじゃん。

投稿者 野ざらし : 01:44 | コメント (0)

2005年11月09日

失われた中坊目線を求めて

睡眠導入剤を貰うために大学の精神神経科に問い合わせをしてみたら、金曜の午後までほぼ予約で一杯らしい。大学にもそういう人多いんだなぁやっぱ。

今日、塾のバイトの休み時間にモードの迷宮↓を読んでたら、中3の生徒がこの表紙を見るなり、「こんなの電車の中で開いてるのって変態じゃね?」って言ってきた。「いや、仮に乳出てる表紙でも普通に開いて読めるけど」って返答したら爆笑してた。やっぱそういう目線で見てたのか。
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俺はそのがきんちょ具合をあざ笑ってるのではなくて、多分俺も中学の頃はそんな眼差しで世の中を見てたんだなぁ、知らないうちに遠いところまで来てたんだなぁと、はしゃぐ生徒をよそにノスタルジックともメランコリックともつかない複雑な思いに浸ったのです。
そして昔の自分を思い出す自分が常に変わっていってるなら、思い出される自分も決して同一ではないけど、その時に応じた思い出し方しか出来ないんだから、やっぱり自分は自分という牢獄の虜なんだなぁといたたまれなくなった。
そもそも「自分の過去を思い出す自分」を時系列に沿って抽象化すること自体、昔はしなかったし、する必要も無かった。中学の自分は本当に遠くに行ってしまって、最早思い出されるものでしかない。
こんなあほなエピソードでこんなもの思いにふける必要は全く無いのだが、季節柄ですかね。

投稿者 野ざらし : 01:04 | コメント (0)

2005年11月07日

善意に満ちた悪意

さて、予定通りアンチ海外ボランティアについて書きます。

外国の恵まれない人を救うというのは、一般に名も知らない人への善意として高く評価される。
自分の身の回りにいる人に善意を払う以上の行為として、評価される。
ここで思うのは、名も知らない人の方にこそ善意を払う、いや、むしろ名も知らない人にでなければ善意を払えない人って、意外と多いんじゃないかということだ。
なぜか。
善意を拒絶される心配が無いからだ。
貧困に喘ぐ人々にとっては、与えられるものを選び取る以外に選択の余地は無い。与えられたものを受け取らなければ、端的に死ぬ。
そこでは与える者は、常に受け取られる者が受諾することが前提になっている。予定調和化している、システム化していると言ってもいいかも知れない。
この「与える」とは、もちろん物質的なものだけでなく、精神的なものも含んでいる。当然、善意もそうだ。
このシステムの中にいると、善意が必ず実るのだ。それはとても甘美なことだろう。

経験則になるが、海外ボランティアとかNPOとかに携わっている人は、意外にも自分の回りの人には関心が薄いように思える。というか、自分の回りの人が何を思っているかに対する感受性がとても乏しいように思える。遠くの人にばかり思いを馳せているように見える。自分の善意が必ず全うされる理想郷に。

自分の近くにいる人の悩みに携わるということは、その人と決裂する可能性を潜めている。悩みを共に考えて、何か行動に移してみることは、悩んでいる当人がそれを迷惑と、余計なお節介と思ってしまえば、その通りになってしまう。例え善意からの行動であっても。
善意が善意たりうるゆえんは、その行為を受け取る側に決定権があるからであって、その行為を行った側に決定権は無い。
良かれと思ってする行為は、善意の破片でしかない。それは組み上げる者(良かれと思ってする行為を受け取る側)の意志によっては善意になるが、それ以外のものにもなりうる。
むしろ、自分の行為がどう評価されるかを相手に全面的に委ねた上でする行為こそが、善意なのではなかろうか。善意とは、自分の行為が善意と名づけられなれない可能性を承諾するところから始まるのではなかろうか。

だとしたら、暫定的な善意が確定的に可決されるようなシステムに逃げてはいけないと思う。善意が実り、自尊心が満たされたことは誇りになるかも知れないが、それは同時に近くにある数多の苦悩から目を背けることにもなっている。
自分の回りの人の悩みには鈍感だけど、海外の恵まれない人を救済することには敏感な人のことを、決して俺は善人とは呼ばない。自分の親しい人がどれだけ色々な悩みを抱えているかを知ったら、それだけで手一杯になるはずだ。いや、手一杯になってしかるべきだ。だって、人の悩みは汲めども汲みつくせないものなのだし、親しい人の悩みはその精神的な近さの分だけ切迫した形で現れるものなのだから。
ここからは俺の回りの話になるけど、俺の友達には鬱病もしくはそれに近い気質の人が本当に多いのです。そういう人の悩みっていうのは深くて、ただ不安感が募ってきて死にたいとか、苦しいのに何故生きていないといけないのかとか、返答しかねる悩みを持っている。そういう人のことは、やっぱりないがしろには出来ない。目の前もしくは電話で今話してる人が、生きるか死ぬかを迷っているという印象は、やはり海外の不特定多数の人がどうこうというのと比べて圧倒的に強い。生きたいけど環境がそれを簡単に許してくれないような場にいる人と、生きようとすれば余裕で生きられるような場にいるにも関わらず死を選択肢にいれざるを得ない人は、どっちが苦しいだろうか。そりゃどっちも苦しいだろう。なら、俺は自分にとってより切迫している方を選びたい。いなくなったことを考えた時に、より悲しい方を選びたい。

以上、善意というもののあり方と自分の回りのことを考えた時に、どうも海外ボランティアとかNPOってのはきな臭い感じがするなぁ、ってことです。反論誹謗中傷等々の意見はご自由に。

投稿者 野ざらし : 22:55 | コメント (5)

2005年11月06日

雨が腐らす、雨音が乱す

「apple of her eyes」の視聴を見つけた。よく見ると畠山美由紀がいる!
聞いてみた感じでは、うん、こんな感じの緩さを求めていた。勉強しながらかけるのにも良さそうだ。同時に眠気を誘うのは致し方ない。

今日はフットサルが雨で中止になった。がっかり。まだ風邪ひいてんだから良かったじゃん、と姉は言ってたけれども、俺には体調よりも月一回しかないフットサルが大事なのだよ。
その次の週末にやる予定だった試合も、トーナメントを組めるほどのチーム数が集まらなかったので中止とのこと。ダブルでがっかり。どうやら練習は出来るみたいなのでちょっと安心したが。
ブックオフで『現代思想の冒険者たち』シリーズのバフチンが売られていた。バフチンかぁ、微妙と言うかよく知らない、ドストエフスキーの斬新な解釈をした人くらいの知識しか無いというのが正直なところ。でも明日の朝一番に買うと思う。このシリーズはあらかた絶版になっていて、再版されてないものはamazonでも定価より高いユーズドがぼこぼこ売られていたりするので、確保しておいて損は無いはず。余談だけどこのシリーズって、発売当時はめちゃくちゃ売れたらしい。生協のランキングに載るくらいだったそうで。

あとブックオフの外国人作家のコーナーに、モブ・ノリオの本が普通に置いてあった。ワロス。そしてリービ英雄は日本人作家の棚にあるという矛盾。

書評も含め、いろいろとブログに書きたいことがたまっているので、どの辺りから手をつけようかと逡巡している現状。とりあえず「アンチ海外ボランティアについて」あたりをまとめようと思っとります。大学でそれ系のサークルに入ってる人にこの話をしたら、結構険悪になった経験のある話だったりします。

投稿者 野ざらし : 23:57 | コメント (0)

2005年11月04日

これは陰謀だと思うのです

行政法はまだ想定の範囲内@ホリえもんとして、何故一番手応えを感じた商法が不可なのか?別に俺、落合教授のこと馬鹿にしてないよ?中日の落合監督の息子のことはしょっちゅう馬鹿にするけど、それを勘違いしたのか?
もうね、今度の「朝まで生テレビ」はこれを議題に挙げるべきだっていうくらい納得いかない!

いずれにせよ分かったこととしては、一夜漬けじゃムリポってことです。今頃になってそんなことに気付いた俺も俺だが。下手に可を乱発されるよりかはまし、くらいのおおらかさで行くか。
あと風邪もようやく動けるくらいには回復したんで、学校にぼちぼち出ますわ。勉強してる俺を見ても笑わないでくれよ…!ていうか自分で自分を笑ってしまいそうだ。必死だな、って。

とりあえずボルテージを下げないといかん、と思ったところに今週末のフットサル。なんておあつらえ向きな。きっと俺のドリブルが炸裂するはず!

よく考えると、去年の夏にフットサルを始めたから、もう名乗るだけならフットサル歴1年って言える訳なのだが、明らかにちょびっとしか上手くなってない。まだリフティング30回くらいしか続かないし、どーんって蹴れないし。何故なのかと考えるわけです。

そこで部活というものに換算するのですよ。
我が赤羽ダイヤモンズは月1の活動なので、今までやった回数を部活の日数に換算すると、俺はまだ入部して半月のペーペーなのです。
そりゃ上手くないよなぁ。ボール拾いでしょ、半月だったら。自分で納得。
でも動きとかは、イメージ的には某歯の出てる人とか某後頭部の禿げてる人とか、名選手をイメージしてるつもりなんだが。はいそこ笑わないで。

投稿者 野ざらし : 22:06 | コメント (0)

2005年10月31日

リアル病人ごっこ

今日も学校に行けなかった。どうも、ひどい風邪のせいで本当に野ざらし状態になっている野ざらしです。言わばリアル野ざらし。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

寝転がりながら思ったこと。
病気になると、普段は意識されない体の部分が、苦痛として意識される。
苦痛によって初めて自分の体を自分の体であると自覚するというのは、逆説的なように見えるけど、いつでも自分の体の全てが自覚されるようだと、情報の出入りが多すぎて指揮系統が混乱してしまうから、必要の無い限り意識にのぼらないようにしている。つまり、体は自分をスムーズに統制してもらうために自分を忘れさせる。
で、病気になると何故苦しいかというと、それは病気が苦痛を伴うことだけじゃなくて、痛みが脳を必要以上に占拠して、ノイジーな状態にしてしまうからなんじゃないかと思う。自分の体が普段よりも自らをアピールする分、意識にとっては重荷になる。

よく分からないことをつらつら書いたけど、要は「俺は今しんどい」ってことです。「風邪は万病のもと」って言うけど、風邪だけでも十分お腹いっぱいになってます。まともに本も読めないし、明日バイト断るの忘れたから行かないといけないし。死ねるぜ。
医療費を浮かせたいから、明日こそは学校の保健センターに行きたい!ここ数日ほとんど外に出ていない人間にとっては果てしなく遠い道のりに思える。

投稿者 野ざらし : 18:24 | コメント (0)

2005年10月30日

風邪と虚無感のミルフィーユ攻め

風邪が治らなくて暇を持て余し、かと言って勉強も頭に入らないので、さっきまでテレビでやってた、チャン・イーモウ監督の『LOVERS』を観てた。
酷いねこの映画。あんまり映画をうんぬん言うほど本数を見てはいないけど、ずぶのド素人から見た目でも、これよりつまんない映画は企画段階で落とされるだろってくらいに虚無感漂う映画だった。ストーリーっすか?「テニスの王子様」のキャラクター並みに天衣無縫な技を使える男女が殺し合う話。以上。
チャン・イーモウはこれ以上アクション映画を撮らない方が自分のためだと思う。なまじ『赤いコーリャン』は良かっただけに、彼の株はストップ安。

でも、あんな感じの映画がいい!って言う人も恐らくいる訳で、そういう意味では人に映画を薦めるってのはかなり難しい。自分が好きっていうのを前面に押し出すか、相手も気に入ってくれそうってのを考慮するかってのは、映画に限らず何かを人に薦める上での基本問題だろう。
とりあえず俺も面白かったし万人受けしそうっていう意味でも、どんな映画がお薦めかって聞かれたら『カッコーの巣の上で』を挙げてるけど、「俺は好きだけどみんな首を傾げそう」って意味では『イベント・ホライゾン』を敢えて挙げておきます。B級ホラーの中ではいい味出してると思う。
あと映像的にも精神的にもグロいのに耐えられる人限定だけど、必ず『夜と霧』は一度は観るべきです。本じゃなくて映画の方を。正直言って上の映画なんか観なくてもいいから。語りだす時の自分の熱さから判断するに、真のお薦めはこれなんだろうと思う。大学のビデオブースで何回も見たし。
でも、こういうのダメな人は普通に吐くと思うんで気をつけて。

投稿者 野ざらし : 22:56 | コメント (0)

2005年10月29日

お前ら、馬鹿は風邪ひかないと思ってるだろ

俺は馬鹿なのに風邪ひいた。木曜あたりから干からびて安置されている状況です。即身仏になりそう。お前ら拝め。
馬鹿が風邪をひかないんじゃなくて、風邪をひかなすぎる奴が(何らかの意味で)馬鹿なんだと思った。病気の人間の気持ちを自分の実感のレベルで思いやれない、っていう意味でね。おお、いいこと言った気がする。

今日はバイト先の人材が余りに払底してるので、浮遊感を押してバイトへ。
俺のバイト先では受け持つ生徒の学習の記録をいつも書くのだが、戯れに今日受け持つ生徒の数週間前の記録を見ると、『「過去」の意味があやしい』という他の先生の講評が。
ちょっと待て、それは「私の物」という概念が無いとかいうポリネシアの原住民とか、明治時代の農民みたいに円環的な時間観の下に生きてるのと同じレベルじゃないのか?
違う時間軸で生きてる人を自分と同じ時間軸に引き込んだり、根本的な概念を新しく吹き込むのは、明らかにバイトの範囲を超えている。もう少しお金をくれないと、そんな根気の要る仕事は出来ないなぁ。ぶっちゃけ一桁多くしてくれ。
このブログ見てる方々に聞きたいのですけど、、「過去」の意味を端的に説明するならどう説明します?例えば「すでに過ぎ去った物事の集まり」とかだと恐らく、時間的な「過ぎ去る」という感覚が彼の中でどの感覚を指すのか分からないから、ダメなんだろうと思います。

確かに過去の意味を説明しろと言われたら俺も出来ないけど、言葉に表せないだけで把握はしてるじゃないっすか。そういうんじゃなくて、どうやら「昨日は過去?」とか、「明日は過去?」の質問に答えられないっぽい。
多分、マルクスのご高言を借りて「ライオンとかシマウマと一緒に『動物』がいる」っていうのと一緒で、昨日とか一昨日っていう日と一緒に「過去」っていう日があるように彼は誤解してるんではないかと。カテゴリー・ミステイク。
もしくは、昨日とか一昨日っていうのを、厳密に「何月何日のAM0:00~PM11:59」っていう風に考えてるか、かなぁ。確かにこれなら日常に支障は無いし、過去が分からないのも納得がいくような気がする。

さらに厄介なのは、過去をどう説明するかをよーく考えてるうちに、自分の中にあった時間観が、なんかこうぺりぺりと剥落していって、説明どころじゃなくなっていくこと。そうなるともう自分の中で収拾をつけることに精一杯で、人に教えるどころじゃなくなっちゃうから、どうしても「端的に」説明しないといけない。
うわぁ、この生徒に毎週会うのは辛いなぁ。金曜日っていう概念が無い世界へ行きたい。

投稿者 野ざらし : 02:30 | コメント (2)

2005年10月26日

睡眠欲に眠っていただきたい

だいたい予想はついたが、昨日行くと予告したデ・キリコ展は、惰眠を貪っている内にタイムオーバーしてしまった。
おまけに三限も寝過ごした。自分の中に息づいてる惰眠の貪欲さが、いつしか自分を滅ぼしやしないかと本気で思う。
俺はほんとによく寝る子なのです。「寝る子は育つ」という古き言葉が真実ならば、俺の背丈はとっくにエナジー・ヴォイドくらいのレベルに伸びているはず。イサム君が寄りかかってもびくともしない。
よく待ち合わせの時間に遅刻するのも大抵は寝坊のせいだし、勉強が長時間続かないのもすぐ眠くなるせい。実は読書も長時間続くことは稀で(もちろんすぐに寝てしまうため)、小刻みに読んでなんとか読破というパターンが多かったりする。
んで、何が自分をそうさせてるかというと、あの「夜更かししてるときに沸きあがってくる、根拠の無い万能感」だと気付いたのが最近のこと。
あれ、誰かなんとかしてくれないっすか。「あと三時間しか寝られないけど大丈夫、もうちょっと本読もう」みたいな感じになって、翌朝起きられないってパターンを何度繰り返したことか。
実際今もこんな時間(AM3:00あたり)なのに、余裕しゃくしゃくな雰囲気出してブログなんか書いてるし。分かっているのに気分の虜。
後悔はしつつも未来の後悔まで先取りすることは出来ないので、今度はこれに行ってデ・キリコの怨念を祓いたい。後悔は代替的な行為の成就で補おう。ついでに、明日というかあと5時間強で始まる授業も出てやる。通勤ラッシュの丸の内線の混雑っぷりに辟易してやる!

投稿者 野ざらし : 03:20 | コメント (0)

2005年10月20日

今が旬だから

じきさんからリクエストがあったので渾身の一撃を。住谷さん
じきさんに限らずみんな笑うしかない。

くそぅ、明日こそはいい加減に書評を書いてやる…。

投稿者 野ざらし : 02:01 | コメント (0)

2005年10月09日

病み上がりフットサル

赤羽ダイヤモンズなるチームのお誘いでフットサルをやってきた。

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実は昨日まで寝込んでいたりしたので、ただでさえ下手な上に体調が悪いというハンデ付きでの参加だったが、そこはプロたるもの、試合に出れば関係ないということで、空気読めないプレイをしたり膝を蹴られて大げさに転んでみたりして試合を止めてみた。
流れを切ることも大切だからね。

いやーしかし今日は雨の影響で、ボールが滑る滑る。トラップが粗い粗い。正直コートの壁の方が俺よりいいトラップしてたと思う。いつもか。

そんな俺でも、今日生まれて初めて、俗に言うボレーシュートなるものを決めてしまいました!
チームメイトに「ジダンみたいだったよ」って言われたけど、あまりにも自分が決めた光景と一致しないので「後頭部薄くなってるよ」というメッセージの婉曲的表現かと邪推。多分何年か前のチャンピォンズリーグ決勝のレアルVSレバークーゼンのことを引用してジダンと言ってくれたのだと思うが、明らかに褒めすぎ。ジャストミートしなかったし。
来月は試合があるという衝撃情報をキャッチしてしまったので、一つ上の男になった野ざらしを見せてやりたいと言うだけなら勝手ですよね。多分頑張る。
明日筋肉痛になるのが確定してるので、学校が休みなのがほんと嬉しい。すっげー寝てやる。お前ら覚悟しやがれ。

投稿者 野ざらし : 22:28 | コメント (0)

2005年10月08日

ピューと吹きそうにもないジャガーさん

どうやら、風邪を、ごほんごほん、バイト先の第二次性徴真っ盛りの子供から、ごほんごほん、もらってきてしまったようだ。ズルズル。あー体だるい。
今日は君たちに言っておかなければならないことがある。
今日でこのブログは終わりです。ごめん嘘ついた。ある意味で終わっていると言えなくもないことは否定しきれないが。
そうじゃなくて、こいつ↓のこと。うち一応ちばテレビ映るんだけど、なんなのジャガーさんって(ちなみにリンク先は超重いです)。

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前に千葉県民に聞いたら「よく知らない」とお茶を濁されたが、タブー視されているのだろうか。そしてカレーを作るジャガーさん。エンターテイナーだな。

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調べてみたところ、ジャガーさんはジャガー星というところから来ていて、ジャガー星では一年が永久に続くために年齢という概念は無いそうだ。
もしかして、「こりん星から来たりんごももか姫」こと小倉優子の原点はここでは?と思った。小倉優子って千葉県民だし。
とりあえず、このサイトを見ている千葉県民には説明責任があります。スルーされるのを覚悟で知る限りのことをコメントしてください、と言ってみる。


ちなみにジャガーさんは、普段は本八幡で洋服のお直しの仕事をしてるらしい。
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本名は村上なのか…

投稿者 野ざらし : 01:41 | コメント (2)

2005年10月06日

狂おしいお釣り

今日知ったのだが、mixiの友達の友達に、どうやら2ch管理人のひろゆき氏がいるようだ。
俺の友達(というか大分年上の方なので「懇意にしていただいてる方」の方が正しい)の友達には渡辺恒三氏までいたりするので、相当にあなどれない。コネを積極的に作る気になれば、実は結構すごいことになっていくのではないか。
問題は俺がそれをほとんど活かしてないことで、しかもそのことに反省していないことだったりする。もっと人当たりを良くしなさい、自分。
よく「友達の友達は友達だ」みたいなことを言うが、それを突き詰めていくとどんな人とも友達なんだよな。そんなに友達いらんけど。
言ってみれば黒澤優とさえ潜在的には友達なんです自分。いいだろお前ら。言っただけ空しいのは承知の上です。

で、上の話とは全く話題が変わるわけで。
池袋の古本市に行ってきた。
買った本は、
知識人とは何か サイード著 平凡社ライブラリー 840円→200円
悦ばしき知識(ニーチェ全集8) ニーチェ著 ちくま学芸文庫 1300円→500円
脳の見方 養老孟司著 ちくま文庫 680円→250円
エロティシズム 澁澤龍彦著 中公文庫 400円→150円

合計すると3220円→1100円。なかなかの値引きっぷり。
ほんとは『知識人とは何か』は300円だったのだが、おじいちゃんに500円を渡したらお釣りが300円返ってきたのでご奉仕価格。ウマー。
ここでなんとなく妄想したのは、おじいちゃんはたまたま間違ったのではなくて、「値札に書かれている額のお釣りを返す」という規則だと思い込んでいて、ずっとその規則に従っているから、おじいちゃんは間違いに気付かないし、「お釣り間違ってますよ」と言われても意味が分からない(だっておじいちゃんが従っている規則によれば、おじいちゃんの方が正しいんだから!)ような状況。
さらに言うと、俺が「値札に書かれている額がこの品の値段である」と思い込んでるだけで、実は他のみんなはおじいちゃんと同じような規則に従っていて、俺はずっともらうべき額をごまかされていた、という妄想にも陥る。
思わず我に返った後、おじいちゃんがお釣りをどういう風に返しているかを観察してしまった。
おじいちゃんは「普通に」お釣りを返していた。
それでもおじいちゃんが正しいかも知れない(俺が見た時におじいちゃんが、「おじいちゃんの規則では正しい」お釣りを返そうとして間違えた額を渡し、その間違えた額がたまたま「俺の規則では正しい」額だっただけかも知れないから。話してみれば一発なのだがそんな質問は恥ずかしくてできない。)ので、俺は結局お釣りをネコババしたのでした。

投稿者 野ざらし : 21:23 | コメント (2)

2005年09月27日

また一つ勲章が増えた

昨日の話。
結論から言うと、携帯を止められた。
と言っても昨日のうちに復活させたのだが、どうしてこんなダメ勲章をむざむざ増やすような目にあったかというと、今月分の料金を先月分だと勘違いして支払ってしまったのだ。
AUは支払いを渋っていても次の月の中旬くらいまでは余裕なので、ほんとは今月分の料金は来月払おうと画策していたところにこのトラブル。まぁそんな戦略的滞納をしようとしてる時点でカスなんだけどね。
しかもどうやら丸1日くらい気付かなかったようだ。俺の場合3~4日くらい携帯が鳴らないなんてザラなんで、自分のパソコンに写メールが送れないことで初めて異変に気付いたというこの体たらく。
仕方なく閉店間際のAUショップに駆け込んで支払いを済ます。そこの店員笑ってんじゃねぇよゴルァ。
予想外の出費に凹み、思わず古本屋に行ってしまう。
で『オフサイドはなぜ反則か』を100円で購入。平凡社ライブラリー版は1000円以上するので、これは安い。
ついでに古着屋に行ってラコステのカーディガンを2000円で買う。これも安かった。思わずアップしてみる。

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このへんでそこそこ散財していることに気がつく。ご利用は計画的に!
でも多分来月の携帯代は再来月に回すんだろうなぁ。だめにんげんだもの。

投稿者 野ざらし : 14:12 | コメント (0)

2005年09月26日

目で聴くか、耳で見るか

前に大学で音楽論の授業を受けていた時に、色々と変な楽譜を見せられたことを思い出したので、探してみた。

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Tom Johnson「Imaginary Music」から。

お次はこれ。

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武満徹の「Study for Vibration from "Corona for Pianist(s)"」から。


でもやっぱり楽譜だけ見ると、Iannis Xenakisがすごい。個人的にはすごく衝撃的だった。この楽譜 とか、何をどう演奏したらいいやら。メルヘンな記号が飛び交っている。
これとか、最早楽譜って言えるのかどうか。むしろどっかの世界遺産をスケッチしたように見えなくも無い。
Xenakisはもともと建築家だった(コルビュジェの弟子!)そうで、数理的な視点から作曲していたのだとさ。
見るだけなら楽しいが、弾く方の身にもなってみたら良かっただろうに。
演奏を聴いてみたことあるけど、不思議ワールドが展開されまくりでした。
分かりやすく言うと、Radioheadの訳分からない部分を集めてことこと煮込んで濃縮した感じ。適当に作ってるようにすら聞こえるのは、きっと俺の耳が肥えてないせいだ。

投稿者 野ざらし : 13:38 | コメント (2)

2005年09月25日

調味料バトン

mixiから回ってきた。
①次のメニューにどんな調味料をかけますか?
 薬味は含みません。

・目玉焼き  →塩コショウ

・餃子     →何もつけない

・カレーライス→同上。稀にソース

・ナポリタン →同上

・ピザ    →同上。 なんか不毛なバトンになってきた。

・生キャベツ →松田のマヨネーズ
              
・トマト   →砂糖

・サラダ   →中華か胡麻のドレッシング

・カキフライ →何もつけない。素材の味を…(海原雄山)

・メンチカツ →同上。雄山ですから。

・コロッケ  →だから雄山だって言ってるだろ。

・天ぷら   →もしあれば塩
        
・とんかつ  →レモン 
                    
・ご飯(おかず無しの時) →昔きな粉をかけていた狂乱の時代がありました。今考えるとあれが俺の人生のハイライトかも。

・ハンバーグ →出てきたときにかかってるもの


②周囲に意外だと驚かれる、 好きな組み合わせはありますか?

シーフードヌードルを牛乳で作るとうまい!ぐらいしか思いつかないなぁ。

③それが一般的なのだとは知っているが、苦手な組み合わせはありますか?

ソフィアの松岡と黒澤優。これしかない。黒澤優ちょーかわいかったのに。松岡は腹を切って死ぬべきだ。また、唯一神野ざらしは彼を地獄の火の中に投げ込むものである。参考↓

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つぅかほんと可愛いな黒澤優。どうしよう。どうしようもないが。

④バトンをまわしたいマイミクは誰ですか?
見た人はやるべし。

投稿者 野ざらし : 00:02 | コメント (0)

2005年09月24日

徘徊癖

あんまり体調がよろしくないのに近所の図書館に本を借りに行った。小雨に打たれつつ。
特に今日は腰痛がひどい。雨の日に腰が痛むとか、リアルにおじいちゃんみたいだから勘弁してくれ、俺の身体よ。
で、その図書館が、酷いとの噂は聞いていたが、予想以上に酷かった。
まず哲学書も画集がろくに無い。ニーチェの全集すら無い(なぜか解説書はちょっとある)。クリムトの画集も無い。ちくま学芸文庫に至っては6冊しか無い。
どうしろと言うのか。ていうかどういうことだ千早図書館。思わず実名出してしまった。
キーワード検索が引っかからなさ過ぎて憤慨しつつも、ようやく三冊ほど借りる。
ラインナップは、
サンタクロースの秘密 中沢新一&レヴィ=ストロース著 せりか書房
へたも絵のうち 熊谷守一著 平凡社ライブラリー
ミシェル=フーコー 内田隆三著 講談社現代新書
まあまあまあ、『サンタクロースの秘密』を見つけられただけでも上出来か。
でもこの本が民話のコーナーに入ってるのはいかがなものか。レヴィ=ストロースでっせ。しかもしかも、隣は絵本だったし!ふざけちょる!
上のリンクからamazonに飛べるんで、この本がどれほど民話コーナーに入れるのが相応しくないか分かっておくれ。
あと、マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』を借りようとして中身を見たら、赤面してしまい返却したのは秘密。あれは高尚さという仮面を被った官能小説です。

投稿者 野ざらし : 23:13 | コメント (0)

現実の修正案

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アンドリュー・ワイエスの「海からの風」という作品。
もしも世界中の絵の中で一枚だけ本物を部屋に飾れるとしたら、この絵は少なくとも最終候補の数点には入る。
ワイエスの作品は福島県立美術館にやたらと所蔵されていて、いっつも常設展の一画に陣取っているため、もう何回見たか分からない。
多分生まれて初めて行った時からあった気がする。今年の夏休みに行った時ももちろんあった。

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こちらは「アルヴァロとクリスティーナ」という作品。

ワイエスの絵がすごいのは、描くべきものが描かれていて、それ以外を過度に詳細に描いていない点だろう。
描かなくてもいい部分は省略しているから、近くで見るとそれほどリアルではない.。
なのに、だんだんと絵から距離をおいていって、適切な遠さに行き着いたときの、質感や雰囲気を含めたリアリティといったらもう。
ワイエスの絵が変にリアルさを追求した絵よりもリアルなのは、おそらく人間も彼の絵のように、つまり省略してもいいところは省略してものを見ているからであって、主観的な「自分が注目しているもの」と「注目していないもの」の視覚的なバランスを客観的なカンバスに表現したところが、ワイエスの素晴らしいところでもある。
もちろん(というか絵を見れば一目瞭然なのだが)、物質的な、客観的なリアルさをギリギリまで追求することも忘れていない。
つまり、ワイエスの作品は主観と客観の危ういバランスの賜物なのだ。ひれ伏しながら見惚れるほかは無い。
機会があったら画集を見てみることをほんとにお薦めします。


投稿者 野ざらし : 13:28 | コメント (2)

2005年09月15日

警報は解除されました

テスト終了ー。
はいみなさんおつかれやした。
mixiでは解放感満喫とか書いたけど、正直そうでもないかも。
なにせこれから司法試験へ始動しないとなんで。さすがにしばらく遊んだりするけど。
これからは自分の欲求(主に読書欲)との戦いになりそうな予感。
という訳で「内乱の予感」でも貼っておきます。

dali07.jpg

テスト直後に「友人が放校にリーチ」という情報を聞き、引きつる。しかも一人ではないとか。笑えない。
その話を聞いて5分後にはいつも通りに談笑していた自分にも、少し引きつった。
俺がリーチかかってる立場だったら、人ごとのように他人の不幸話を聞いてすぐに忘れるような奴を見たら、かなり不愉快な気分になるだろうなぁ。
直接本人が見てるわけではないが、悪いことをした。
それはリーチがかかった友達に悪いというのもそうだし、「後から回顧して自分が嫌だと思うこと」を自分で自覚しないでやってたっていうのもすごく嫌だ。迂闊だった。


投稿者 野ざらし : 19:09 | コメント (2)

2005年09月11日

ロリコン戦線異状無し

『ヘイフラワーとキルトシュー』、これねぇ、日本で上映するのは問題あると思う。
なぜって、出演してる女の子が可愛すぎる!

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一応断っておくが、俺は幼女にハァハァする類の人間ではない。
が、普通に可愛いと思ってしまった。やばいのか?いや、一線は越えてないはず。お前らも可愛いと思ったろうが!正直に言ってみろ!

本題に戻ると、何が問題かって、ただでさえアイドルの年齢が低くなって総ロリコン化している日本人にとって、この映画はまさに直球ど真ん中だと思うんです。さすがに若干低めであると願いたいが。

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で、この映画を観る→北欧の女の子可愛い→日本にいる北欧の少女を誘拐する事件が増える→日本のイメージ低下
となりかねないなぁ、と。
フィンランドの日本大使館に苦情殺到とか、下手すると日本にサンタが来ないとかあり得る訳ですよ。
最悪サンタにヘイフラワーとキルトシューを直接頼んでしまう輩が現れて、顰蹙を買ってしまう訳ですよ。

そうやって俺は国際関係を憂いて憂いて、テスト勉強がさっぱり進まないのです。

投稿者 野ざらし : 00:10 | コメント (2)

2005年09月09日

誰か俺のジュースに目薬入れたろ

さて、昨日はちゃんとめざにゅ~の高橋マーサの顔が血筋をふつふつと感じさせることを確認して、5時には寝たはずなのに、起きたら8時。いや、表記を改めよう。20時。
どうせよというのか。いや、婉曲的な表現もやめにしよう。どうしようもない。
とりあえずおまいら間違い探しでもやって俺のように無駄な時間を過ごすといいと思ったよ。

投稿者 野ざらし : 02:24 | コメント (2)

2005年09月07日

悪意の波長は雨模様

今週分のテストが終わって束の間の休憩といきたいところだが、緊張を切ってはいけないという意識がなかなかそれを許さない。いや、緊張感を保つこと自体は決して悪いことではないんだが。

目下の問題は二つある。一つは法学部のテストがあまりにもアグレッシブすぎること。
やつらは完全にスパイクの裏を見せてタックルしてきますからね、油断してると怪我どころか選手生命が危ない。悪意を感じる。
昨日の行政法のタックルがもろに入った時は、さすがに走馬灯見えた。走馬灯じゃなくて、俺が5年生やってる光景を白昼夢で垣間見ただけかもしれないけど。
それはまぁよい。
もっと問題なのは、こんなのの積み重ねで来年の行方が決まってしまうこと。
就職をニートよりも選択順位で下位に置いてる俺だから、必然的に資格に走らざるを得ないわけで。クラスメイトがゴールドマンサックスに行きたいらしいという話を聞いた時にまず浮かんだのがドラクエに出て来るモンスターのゴールドマン↓だった自分が、どう組織に適応しろというのか。04gorudoman1.jpg
学部の成績とか気にしていたくもないというか、全てが将来の伏線になってるような人生に大分うんざりしてるのですよあたしゃ。その時やりたいと思ったことを我慢するのは相当なストレスになるし。
とは言いつつも愚痴ばかり言っても資格は取れないから、うんざりしつつもやらなきゃなんですな。
これは自分に対する試練だとか思えてしまうようなどMな人間はこういう状況に有利なんだろうなぁ。自分に与えられた苦痛を口当たりのいいオブラートに包める能力は、苦いものを飲み込めないって意味で子供じみてはいるものの、羨ましい。
俺ならオブラートが溶けるまで口の中に含んで結局苦痛を味わってしまいそうだから、オブラートを用意したところで意味が無いんだけど。


そういやこのブログは読書日記が中心だったことを久しく忘れていた。
本を読んでいない訳じゃないので、そろそろ、というかテストが終わったら本の感想もちゃんと書こうと思います~。

投稿者 野ざらし : 22:46 | コメント (0)

2005年08月31日

ドッペルゲンガー会社法

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どうしてこんなことになったかというと、もともとこの教科書はテスト時の持ち込みが許されているものなのだが、書き込みすると持ち込み不可(書き込みがばれるとカンニングで退学!)だということを授業日程が終了してから通達されたため、やむなくもう一冊買う破目にあったということ。大人って不条理。
わざわざこれを買いに行くのが酷くおっくうなのに加えて、これがなかなか売っていない。どこまで俺を苦しめるのか。
池袋リブロやジュンク堂に無かったため、渋々と本郷へ向かう。

途中で本郷にある東京大学コミュニケーションセンターに寄ったら、マルセル=デュシャンの「大ガラス」のミニチュアが売っていた。うお、欲しい、が高い。3500円くらい。
同行しためぐり氏は「泡盛…」とずっと言っていた。こっちは4200円。

書籍部で問題の教科書を発見。あと二冊!危ない!これを逃すのと単位を逃すのはほぼ同義なので、光よりも速く確保する。
ついでに刑法の判例集を買い忘れていたようなので購入。3500円。ってよく考えたらデュシャン買えるじゃん。ムキー。
とかく単位を取るには金がかかるもんだ。
憂さ晴らしに講談社現代新書の性愛奥義を立ち読み。うわ、うわ、インドすげぇ。

インドはさておき、テストごときに心を荒廃させられてしまう自分が悔しい。
「試験もなんにもない(ゲゲゲの鬼太郎より)」という利点があるのなら、いっそのこと妖怪になってもいいかとすら思う。
本郷で猫と戯れる妖怪を見たら、試験を放棄した俺だと思ってください。


投稿者 野ざらし : 03:16 | コメント (0)

2005年08月26日

責任者出て来い、褒めてやる

ちょっとみんな、この4コマ見てよ。面白いを突き抜けてシュールレアリスム。寓話が寓話になってない。綿貫が太陽だからなんなんだ。
特筆すべきは、この4コマが国民新党の公式ホームページに掲載されているということ。
とりあえず自分たちの身を切って笑いにできる政党ではあるらしい。
早く続きを!

投稿者 野ざらし : 01:38 | コメント (0)

2005年08月22日

これ気に入った

やる気のないダースベイダーのテーマ
それだけなんですけど。

投稿者 野ざらし : 18:23 | コメント (2)

2005年08月19日

送り火の日の訃報

『今日、実家の近所の人が亡くなったそうだ。
スズメバチに刺されて、アナフィラキシーショックで。
冥福を祈るにしてもあまりに唐突過ぎて、それを受け入れる器が自分の中に出来ていない。
一番驚いたのは誰よりも当人であっただろう。
いや、驚く暇すら無かったかも知れない。
あったのは意識が途切れる瞬間であって、その後は何が起きたのかを振り返ろうとする意識すら無い。

人間は普通、自分の死を想像する時には、病気とか老衰、時には自殺のような「何故自分が死んでいくのか」を把握できる死に方を想像する。
それはそうありたいから、つまり、漠然とでもいいからいつ死ぬかを把握して、死ぬことへの心の準備をしておきたいからなのだろう。
しかし、自らの死が迫ってくるような状況と、自分が死んだかどうかも分からないまま死んでいくのは、果たしてどちらが当人にとって幸福と言えるのか。
もちろん答えは決まっていないし、決めたところでどちらかを自分の意思で選べる訳でもないが。
突然の訃報を聞いてよく口にされるのは、
「人間いつ死ぬか分からないから、一日を大切に生きよう」とか、「人間いつ死ぬか分からないから、何をしても大差無い」
というセリフである。
どちらの教訓が優れているという訳ではないが、どちらも他人の死を自分の生に還元しようとしてる点では同じことだ。
しかし、死はそもそも生に還元しきれないものではないのだろうか。
死を生に還元してしまうということは、即ち死を忘れて生きようとする態度、欲望の現れではないか。
それは、死者を悼み続けるという意味では、弔いとは言えないと思う。
だから、教訓など何も引き出さないで、その人の突然の死をなるべくそのままの形で、言ってみれば異物やしこりとして自らの中に引き受け、自らもいつ死ぬか分からないと恐れることは、「他人の死」と「自分の死」を照らし合わせ、還元しえないものをそのままにして忘れないようにするという意味で、悼み続けていると言えるのではないだろうか。
死者は他人から忘れられてもう一度死ぬのだ。それも今度は完全な形で。
生きている人が死を恐れるならば、死者がもう一度死を味わうことの無いよう、その人の死をそのままにして忘れないことこそ弔いだろう。
そしてその程度のことしか、生きている人が死者に対して出来ることは無い。』

投稿者 野ざらし : 02:04 | コメント (0)

2005年08月18日

雑然どころではない部屋

こんにちは、はじめまして、副管理人です。
野ざらしから原稿が送られてきたので代打でupします。彼は無事実家で太っているらしいので安心してください(笑)
20日に帰ってくるそうなので、それまでコメントレス等々お待ちください。
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『福島に帰郷している間に、宮城県沖地震に遭った。
我が家の近くは震度5強、初めて体感する揺れの強さ。
ベッドで寝ていたのだが、避難しようにも見る見るうちに床が落下物で埋まり、うかつに歩けない。左右に揺さぶられ歪むドア枠。
寝起きであっても夢か現か幻かを考えている余裕は無い。
隙間を探し、なんとか部屋を出て玄関から外へ裸足で駆け抜ける。
そうこうする内に揺れは止んだが、精神的な揺れはなお止まず、以後二時間くらい鳥肌が立ったままだった。

少し気分が悪くなったので横になったが、背中を床につけて振動を感じるのを体が拒んでしまって、眠れない。
むしろ地震直後よりも恐怖感は強くなり、神経がすり減っているのが分かる。さすがに5時頃になって疲労が緊張に勝り、意識がとんだ。

それにしても、全く予想もしないタイミングで訪れた、通り魔のような地震だった。
大きな地震に被災した人がトラウマに悩まされる気持ちが、今なら少しは分かる。いつ来るか分からなかったから、これからも神経が休まらないのだ。
「いつ来るか分からない」という他人行儀な情報と、経験として体に刻まれた「いつ来るか分からなかった」の間には、歴然たる説得力の差がある。言葉の根拠となる経験の有無が、そのまま差につながっている。

とりあえず、起きた瞬間にメガネを探した自分の判断だけは誉められるべきものだった。
メガネストの方々は、ちゃんと枕元に場所を決めて置いといた方がいいですよ。
                                    』

投稿者 野ざらし : 00:59 | コメント (0)

2005年08月14日

迎え火くらいは真人間として過ごそう

12時起床の時点で真人間ではないのだが。きっと先祖が泣いている。
とりあえずクラスで俺にノートを貸してくれるという奇特な菩薩と本郷で合流。
みんなでぐだぐだ昼ご飯を食らいながら、シケプリ(試験対策プリント。全部の授業に出なくてもいいように教科毎に試験対策委員を決めて、その人が本気で取ったノートを全員が共有するというグロテスクな手法により生成される。ちなみに今回はシケプリのコピーを貰っているため、完全にただ乗り状態である)をコピーする。
正味400枚くらいになったため、単位のための必要経費と言い聞かせつつも寒い懐に思いを馳せない訳にはいかない。

16時くらいにコピーが終わり、図書館へ。
余った時間を利用すれば、卒業までに短い文庫(デカルトの『方法序説』とかトルストイの『人はなんで生きるか』とか)は大体読破できるんじゃないかと思い、余った時間有効活用キャンペーンを脳内で開始する。
今日はキャンペーンを開催した時点で閉館と相成る。無念。

今度は恵比寿ガーデンプレイスでのbophanaという方々のミニコンサートへ行く。
つぅか会場のグラススクエアがかなり素晴らしい雰囲気で、東京ではない場所に来たかのような錯覚にとらわれる。自分が田舎者なだけなんだべか。

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肝心のコンサートは、ボーカルの山田さんがちっさいのにものすごく存在感のある声で圧倒されたが、歌声に包容力がある感じで疲れない演奏だった。
終了後に山田さんに声をかけ、写メを撮らせていただく。山田さんかわいー。

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おお、今日はなんか普通の日記書いてる!どうしよう、アイデンティティの危機!
まぁたまにはこういうのもありってことで。
普通の人にとってはむしろ普段の俺の日記が無しの方向なんですかそうですか。

明日から福島に帰郷するので、このブログはしばらくお休み。
電車もバスも通らない陸の孤島にたどり着いた野ざらしを待ち受ける惨劇とは!?次回を待て!

ていうか本当に電車もバスも通ってないことが真の惨劇だったりするんだが。


投稿者 野ざらし : 03:15 | コメント (0)

2005年08月13日

さて、誰が見抜かれてるのやら

俺(今までの日記では呼称は「僕」だったけど、不意に気持ち悪くなったので今後は「俺」にします。しかし「俺」と「僕」につきまとう語感の差というか、温度や湿度の差はすさまじいものがある。ちょうど中間くらいの空気を持った呼称はないんだろうか)はよく、他人の内面を見抜く奴だと言われる。
さっき後輩と電話で話していた時もそう言われた。
決して才能を自慢してるのではない。
事実、「ほんとはこう考えてるでしょ」と言ったばっかりに嫌われたこと数知れず。
なんというか、圧倒的に社会で役に立たない能力。
しかし、思ったことをぽろっと言ってるだけなのに、なんなんだろうか。
いや、自分がどう見抜いているかにはさほど興味は無い。
「なぜ」見抜くなんていうあまり得にもならないことをするのか、が問題だ。

他人のことを見抜くことで、自分のことは見抜けないと思わせるため、心理的に優位に立つために、見抜く技術を磨いてきたのかも知れない。
そうすると自分の根源にあるものは、他者への恐れか。その延長には心理的な支配欲求もあるだろう。
支配欲求っていうのも思いついたのは二つあって、相手に「自分の内面まで知られている」と思わせたいという欲求、つまり相手の内面に現れる欲求と、俺自身が「相手を内面まで自分の言葉で表現できている」と思い込みたい欲求、つまり自己の中に現れる欲求があるんじゃないかと。
我ながら痛いとこを突く。
自分で内面をちくちく刺しながらブログを書くというのはいかがなものか。
しかも今やっていることも自己を見抜こうとしていることであって、この段落に書いた文の「他者」とか「相手」って言葉を「自己」に置き換えると、もっと格別に痛い。
要するに、他者を見抜こうとする自分を支配したい欲求が自分には働いていて、結局俺は、他者どころか自分ですらも掌握してはいない、ってことになるじゃないか。いたたた。

ただ、他者を理解しようとすることは、あながち他者への恐れからくるものだけではない。
他人だってある程度は理解してほしいと思っているだろう。あっちからのベクトルだってあるに決まってるさ、そりゃ。
ただ問題は、俺がしばしば「人間は、自身が理解してほしいと思う程度に他者への理解を欲する」ということを忘れることにある。場だけじゃなくて相手の内面に対しても空気読めってことか。
なら誰か、空気の読み方を教えてはくれまいか(泣)


投稿者 野ざらし : 06:02 | コメント (2)

2005年08月11日

ふっかつのじゅもんが まちがっています

バイトが忙しくてなかなかブログを書けなかった、という自分らしからぬ事態に少し驚く。
まるで社会に適応している人間のセリフではないか。
まぁでも、遅刻しなかった日がほとんど無かったんだけどね。てへっ☆
キャラが違うので修正。

ゆっくりしたい時になると切に思うのだが、社会は決してゆっくりすることに寛容ではない。
自分が社会にとって替えの利く存在だろうがそうでなかろうが、社会は仕事を全うさせるシステムなのだ。「君は替えの利かない存在だ→君がいなくなると迷惑を被る人がたくさん発生するから、止まるな」
「君は替えの利く存在だ→君がいなくてもシステムは機能するから、もし君が戻ってきたとしても居場所は無い。だから休めないよ」
って感じですかね。当然、僕の気分など知ったことではない。
ポール・ニザンが書いた『アデン・アラビア』の中の、「一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。恋愛も思想も家族を失うことも、大人たちの仲間に入ることも。世の中でおのれがどんな役割を果たしているのか知るのは辛いことだ。」という一節が頭をよぎる。
いかにも被害妄想的な考えで、この切り口自体から自分の病みっぷりが見えてしまうのが、言ってる当人にとっても、痛い、痛い。
いつもならストレス解消の手段になる読書ですらも、うまいチョイスをしないとかえって気分を悪くさせるような状態だから、なかなかにキテル。
何のことを言っているかというと、重松清の『ナイフ』を読んだら死にそうになったのですよあたくしは。
まして僕は昔いじめられっ子だったから悶絶すること限りなし。凹んでる時に昔の傷をえぐってはいけませんよ、みなさん。

今なら躊躇無く言える。明日はリフレッシュに時間を費やしたい。
久々にカラオケとか行きたいんだけど、面子が揃わないことが見えすぎておくびにも出せない。
ということで。
多分これに逝ってきます。恐らく、用賀駅から美術館までの道中に散見されるであろうセレヴ家族を心の中で罵倒しながら。
生マグリットや生アンソールは生まれて初めて見ることになるので、少し心が沸き立つはず。
いや、むしろ沸き立ってください、自分の心。そこんとこお願いしますよ。

投稿者 野ざらし : 19:02 | コメント (0)

2005年08月07日

今日は重めの話でもしよう

先日、僕の高校時代からの先輩兼友人が、鬱病になったことを知った。
あぁ、またやってしまったか、と思う。僕の友人ではもう5人目だ。
友人が鬱病にかかるという珍しさは僕の中で既に失われているが、そのことによって悲しくなくなる訳でもない。

思うのは、世の中には明らかに苦しみが偏在していて(恵まれない子供たちがいます、とかいう物質的なレベル以上に、そもそも苦しみに対する感受性が例えようも無いほど千差万別であるという、内面的なレベルにおいて)、そのことを体の底から理解できている人間は、本当に少ないということである。
「苦しい」と言われて真っ先に連想されるのは、自分が味わったことのある種類の苦しみで、それ以上でも以下でもあり得ない。
自分の想像を絶する濃度で迫る苦しみが他人の中にあると肌で感じることは、苦しみの偏在を垣間見ることにつながる。しかし多くの人はそれを認めようとするどころか、そういう苦しみを持つ人から引いてしまう。
何故か?
自分の知らない種類の苦しみの前で無力を悟ることに、僕たちの多くは耐えられないからだ。
僕は自分が無力であることを突きつけられ、自分に実際にできることはとても少ないことを知ったが、それでも何か出来るかも知れないという思いを捨てないのは、傲慢な考えに過ぎないのどろうか?
そうでないことを祈りたい。最後は最早、祈りでしかないのだが。


鬱病と診断される人は、みんな戯画的なまでに苦しいところを見せまいとする。
そのただならぬ感じを薄々感じ取れていたにも関わらず、僕は彼を病院に連れていくように促せなかった。
「あの人は昔からそうだったから」などと自らに言い訳をしていたことを、後悔を共にここに記さねばならない。

「あの人は昔からそうだったから」と、僕は自分に言った。
じゃあ僕の先輩はどこからが病気で、どこからが彼の「本来の」性格なのか?
鬱病と診断される前と後では、彼の病気自体に変化は無い。
彼は病気と共にあり、彼の一部は病であったと言わざるを得ない。
彼の性格の中で病気の部分とそうでない部分を色分けしたならば、そこに現れてくるのは複雑なマーブル模様であろう。
病気の一面を見て手のひらを返したような反応をすることは、その人の一部を認めていないのと結局は同じなのだから、僕は「病気も含めて彼だ」という所から始めないといけない。腫れ物に触るような態度ではなく、もっとポジティヴな方向から始めないといけない。これが僕に出来る数少ないことの内の一つだろう。


投稿者 野ざらし : 04:13 | コメント (2)

2005年08月03日

他人の幸運はどんな味

めぐり氏から『白のフォークロア』を買ってくるように依頼され、目撃証言があった古本屋に行く。

件の古本屋(本件とは関係ないがフランス書院が異常に充実している)に入って手に取ってみると、驚きの光景が目に飛び込んできた。
050803_2301~01.jpg
もしかしてこれ、献本(本が出来上がった時に著者が知人に贈る本)じゃないか?
なんたる僥倖!いーないーな!思わぬ発見ににわかに沸き立つ。
と同時に、何故自分の本でない場合に限ってこんなスペシャルな事態が発生するのかと、少し苦々しくもなる。
他人の幸運は甘さ8割、塩辛さ2割。塩のソフトクリームのような。

僕はこういうラッキーに出くわしたことは無いけど、周りは意外と類似の出来事に遭遇しているようだ。
最たる例としては、姉がブックオフで買った松尾スズキの本に本人のサインがしてあったことがある。店員も迂闊すぎるんだが。

しかし、サイン本にしても知人の本にしても、売る人の気持ちがほんっっとに知れないわ。

投稿者 野ざらし : 23:25 | コメント (0)

2005年07月23日

想像力の問題

1910年代にカラーの写真を撮っていたProkudin-Gorskiiの紹介。
The Empire That Was Russia The Prokudin-Gorskii Photographic Record Recreated (A Library of Congress Exhibition)

この人が撮っていた時代はソ連じゃなくてロシアだったんすよ。
しかもまだ帝政ロシア。
p87_3002__00363_-th.jpg

p87_8059a__01848_-th.jpg
これらの写真を見ると、帝政ロシアの当時の生活が窺えるとかじゃなくて、自分の周りにあるもの、例えば木とか雲とか土とか今と同じ色をしていることに気づかされる。
生物の進化なんてそうすぐに変わるものじゃないんだから当たり前なんだけど、「現在の僕たちと昔の人達が同じ色の下で生きている」というのはつい忘れがちになる。というよりも全く意識していない。だからこのサイトを見て頭をこづかれたような感覚になった。
昔=モノクロという等式は、以前にはモノクロでしか記録できるものがなくて、それを僕たちが幼い頃から見ているせいなのかも知れない。
メディアの技術なんかが自分たちの感覚(しかも「昔のことを思い出すときのイメージ」というひどく内面的な感覚)にまで影響を及ぼしていることも全く想像してなかった。

てことは、モノクロで記録を残す技術すら無かった時代の人が昔のことに思いを馳せるときは、もしかしてモノクロのイメージで浮かんではこなかったのではないだろうか?
まぁ真偽を確かめる術も無いけど。だって未来の人が昔を思い出すときにモノクロのイメージになるなんて、昔の人が予想できるわけないじゃないすか。
うーん、いつの時代も、こと未来に関しては人間の想像力はちっぽけだ。
僕が想像力に乏しいだけかも知れないけど。

投稿者 野ざらし : 01:41 | コメント (0)

2005年07月22日

頑張れライオンズ

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全くライオンズに興味は無いけど、西武池袋駅の一画にて。食券の販売機の空きにこんな応援が。
どうしてもやりたかったんだろうなぁ。
わざわざ文字打ってるし。

投稿者 野ざらし : 01:30 | コメント (0)

2005年07月20日

サウスバウンド

奥田英朗の新作。過激派な父を持つ少年の話らしい。
4048736116.01.LZZZZZZZ

今日書店に寄った時に目についてパラパラと読んでみたけど、久々にハードカバーの小説で欲しいと思わせるものが出現してしまった。表紙もいい。
直感的にハードカバーの小説を手に取るのは、昔『博士の愛した数式』を買って以来ではなかろうか。
まぁ直感とは当たるも八卦なもので、『博士の愛した数式』は、金返せ!!って言いたくなるくらいつまんなかったけど。
なんとか賞とかってあんまり信用しない方がいいな、と確信するくらいつまんなかったので、『サウスバウンド』の1700円という値段にもつい二の足を踏んでしまう。損したらどうしよう、と。
これは『博士の愛した数式』による一種のPTSDではないか。貧乏性と言った方が圧倒的に適切だが。
ちなみに奥田さんの『インザプール』は小説をちらっと見ただけで映画を観たら面白くなかったけど、それは文章の上での面白さを活かしきれてなかっただけなんだと思う。『空中ブランコ』は面白かったし。

しばらく図書館にも無いだろうしなぁ。うわぁ、マジで悩む。

投稿者 野ざらし : 01:38 | コメント (0)

2005年07月19日

クリストについて

放送大学で授業していたので、ついつい見入ってしまった。
クリストっていう芸術家は、色々梱包しちゃうことで有名なお方。
日本でも昔、アンブレラ計画っていうバイオハザードみたいな名前のプロジェクトを立ち上げて、茨城県の農村にでっかい傘をぼんぼん立てていったらしい。
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クリストの作品は、誰にも所有できない芸術であることを念頭に置いて作られていくのだそうだ。
作品の一時性(アンブレラ計画で使われた布は土嚢用の布としてリサイクルされたそうです!)や
規模の大きさは、正にその所有できなさを象徴してるのだろう。

最近のクリストの作品で有名なのは、ニューヨークのセントラルパークに大量のアーチを建てたものである。下のものはクリスト自身が描いた予想図。ウマー。
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これらのスケッチを宣伝や説得がてらに売り歩き、得たお金でこの計画を実現させたそうだ。
下は実現した作品を万感の思いで見上げるクリスト夫妻。
thegates_opening_4.jpg

クリストの作品は、どの作品もあえて異質な色の素材を使って表現される。
そのことによって(クリストの意図に沿うものかどうかは分からないが)、その作品が表現されている場所に目が向けられる、つまり、布で覆われている物や巨大な傘が並ぶ風景は、それらの作品が完成する前の普段の建物や風景が、私たちの目にどう馴染んでいたかを対比的な形で突きつける。
もっと突っ込んだ言い方をすれば、クリストは私たちが普段見慣れている風景を部分的に欠落させることで、日常が繰り広げられる場に非日常を持ち込み(クリストの作品が展示されている場所は押しなべて祝祭的なムードになる)、その作品によって隠されているものを、改めて観衆に意識させているのだと思う。

投稿者 野ざらし : 00:53 | コメント (4)

2005年07月18日

マイナーチェンジ

カテゴリーを少しいじくりました。
僕のカテゴライズの仕方だと雑感と買い物にやたら負担がかかってしまう(後者はいかんともしがたいが)ので、雑感を二つに分けました。
あと、法学の本に感想なんかつけようがないことに今更ながら気づいたので、法学のカテゴリーを削除しました。
カテゴリーを適当に考えていたことがよく分かりますな。

まぁ上には上がいるということで、ボルヘスが引用した中国のある事典の分類でも貼っておきます。
これを見れば拙ブログのカテゴリーも大分ましに見えることだろう。

A,皇帝に属するもの
B,香の匂いを放つもの
C,飼いならされたもの
D,乳呑み豚
E,人魚
F,お話に出てくるもの
G,放し飼いの犬
H,この分類自体に含まれるもの
I,気違いのように騒ぐもの
J,数え切れぬもの
L,駱駝の毛のように細い毛筆で描かれたもの
M,その他
N,今しがた壷を壊したもの
O,遠くから蝿のように見えるもの

これ、ネタでもなんでもなく事実なんだそうです。
突っ込み所があり過ぎて逆に突っ込めない。

投稿者 野ざらし : 18:19 | コメント (0)

2005年07月16日

酒に飲まれる21歳

こんな僕でも飲みに誘ってくれる友達がいるんです。
世の中捨てる神ばかりじゃない。
久々に居酒屋でプライベートな飲みを開催する。

とりあえずみんな食うわ食うわ。しばし無言の時が流れる。
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お通しで既にこの殺気ですから、後からいかに厳しい戦いが繰り広げられたかを推して知ることが出来るでしょう。だってみんな苦学生なんだもん。
松島トモ子の指を食いちぎらんばかりの勢いで僕も参戦。がるるー。肉をよこせ、肉をー。

その内全員が酒に酔ってペースダウン。いい感じにほろ酔いでトークタイム。
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二人ともいい表情をしてますが、僕はこの時点でぐでんぐでん。キモいので自身の写メは無しの方向で。

僕以外の二人の意見が一致したところによると、僕は超大物になるかダメダメで終わるかのどっちかなんだそうです。少なくとも企業では厳しいと。
分かってる、分かってるけど言わないでくれ。
社会不適応者に「あなたは社会不適応者です」って言ってるようなもんなんだよそれ。別に問題ないか。
あとは恋愛放談などをしつつ、宴もたけなわ。
マイペースで話をしながら酒を飲めるというのは素晴らしいもんだ。
思えば、大学に入ったばっかりの飲みではコールにのらないと「空気が読めない奴」みたいなレッテルが貼られるような感じだったが、もとより空気の読めない僕にとっては苦痛な飲みでしかなかった。
今になってやっと地に足がついた飲みが出来るようになったということかも知れない。

投稿者 野ざらし : 00:14 | コメント (0)

2005年07月15日

面白いブログめっけ

「くりろぐ」です。
名前から内容が想像できないと思うので、是非一見を。
コメントがいちいち面白すぎるんです。
http://funapon.info/chri/
ちなみに僕は7月13日の衣装が一番ツボにはまりました。

投稿者 野ざらし : 01:43 | コメント (0)

2005年07月08日

味気ないコンテンツにスパイスを!

他人のブログと比べると、いかにも自分のブログは味気ないと痛感するのですよ。
今まで本のことばっか書いてるんだから、当たり前っちゃ当たり前なんですが。
さすがに僕も本ばっか読んで生活してる訳じゃないんで、本以外に興味があるものもちろちろと紹介していこうと決意しました。
つぅことで、こんなんどうでしょう。
http://libweb5.princeton.edu/visual_materials/hb/index.html
結局は本じゃん!っていうツッコミは無しの方向でお願いします。
しかしこんな魂のこもった装丁されたら、おいそれと風呂で読んだりじゃがりこ食べながら読んだりできないですよね。
4.thumb
ちなみにこの本は『ルバイヤート』だそうです。
外見から中身が全く想像できないあたりも最高。

投稿者 野ざらし : 22:13 | コメント (0)

2005年07月07日

封切りにあたって

遂に友人をこのブログに招待することになった。どきどき。
自分が内に秘めているようなことを文として書き起こすのは恥ずかしいものだ。
うわ、俺なんちゅうこと書いてんだ、という気持ちにさせられるのは、珍しいことではない。
上記の三行で既に恥ずかしくなってきている。
まして、それを他人に見られるとなったら!
もう悶死である。穴があったら入って、そのまま埋められて人身御供コース一直線でも構わないくらい恥ずかしい。

じゃあなんで書いてるかというと、忘れるがままに任せてると進歩が無いんだから、自分の思ってることを具現化して晒すのにいずれ慣れないといけない、と思ったからである。
同じ考えを忘れる度に思い出す、という道のりを繰り返すのは、いかにも効率的ではない。
『知的生産の技術』にも似たようなことが書いてあった。

だからこのブログは、読書メモであると同時に、他人の眼に慣れることを目指した訓練のようなものでもある。
今橋映子ですら「最初は自分の写真を他人に見せるのは、自分の性行為を見られるのと同じくらい恥ずかしかった」と言ってたし、自分の内面的なものを見せるのを恥ずかしいと思うのは誰でもそうなんだと信じたいなぁ。

つぅことで、恥ずかしいと思いながら書いてるブログなんで、温かい目で見てやって下さい。頼むから。

投稿者 野ざらし : 22:19 | コメント (4)

2005年06月13日

病床六尺

先週の金曜日辺りにハードな風邪をいただき、今日までろくに外にも出ずにゴロゴロしている。
余計な出費をついつい有名チェーン店の豚丼や古本の数に換算してしまう悪癖が浪人時代からあるため、病院に行くことも当然ためらわれたが、生憎今週は予定がぎっしりなので、観念して病院行きを決心する。
ところが、である。
保険証の期限が切れている上、クリニックの来院証も大分前のだったため、まさかの十割負担となってしまう。
今月中に新しい保険証を提示すれば返還してくれるらしいけど、口の中をちょこっと見せて二言三言交わしただけで3770円。薬の処方に4890円。
一時的な出費とは言え、全く笑えない。つぅかいい仕事だな開業医って。
お金を借りて、なんとかその場をやり過ごす。
ありがとうございますありがとうございます。

まぁ今回特筆すべきはそこじゃないんで本題に入ると、クリニックの待合室にnewsweekがあったから何の気なしに読んでいたんです。すると、DBSという、重症の鬱病患者の脳に電極を埋め込んで、胸部につけられたボタン(電極と連動している)を押すと、不活性化していた脳の部位に電流が流れる、つまりは幸福感を得られる、という記事があった。
一読して連想されたのは、以前読んだことのある『しあわせの理由』というSF小説の内容である。
ほとんど記事と内容が一緒。それはもう驚くほどに。
僕自身が問題に思ったのは、DBSという治療法の開発とこの小説のアイディアのどっちが先に生み出されたかとか、幸せって結局は脳内物質の分泌なのかとかではなく(後者はほんとはすごく重要なことなんだけど)、同じ内容を与えられていても、そのバックグラウンドがいかに内容の信憑性に影響を与えるかというところである。
僕は、いや多分僕だけじゃないと思うが、だいたい同じ内容の文章を与えられていても、SF小説というジャンルの一部なのと、newsweekの記事の一つなのとでは、見る目が、というか脳の中にしまうときのラベリングが、全く違う。
つまり、極論をしてしまえば、文を読むとき、僕たちはある意味では内容を読んではいない。
同じことが書かれていても、それがどんな本に載っているかによって、事実か想像かが決まってしまうということがあり得る。
ここで思い出したのは、以前どこかで読んだ、らい病を診断した医者の話である。
昔、らい病にかかるということは、社会的には死を意味したらしい。
だが、らい病の兆候というのは微小で、専門の医者にしか判別できないとされてきた。
つまり、医者が患者一人一人の生殺与奪を握っていたということになる。

なんというか、今回僕が感じたのも、これと似たようなものな訳で。
想像の領域なのか、現実に既に起こっていることなのかが一般人には判別できない事柄に対して、事実としての地位を流布させるか否かは、文章が載る本の種類と書き手にも大いに左右されてしまうのだなぁ、と思ったのです。戯言に近い話ですいません。

でも、最先端の技術の話を大真面目でSFとして書かれたら、それが既に実現してるだなんて信じないでしょう?
まぁこの手の話はオカルトと紙一重なんで、相当慎重にやらなきゃいけないことは確かなんですが。
一応言っておくけど、UFOいるよとかそういう話をしたいんじゃないですよ僕は。
誰もそんなこと思ってないか。

ともかく、僕たちは必要以上に、物事を見てそれだけで事実か否かを判断している、と自分で思い込んでるんですな。
無意識の内に別なものを根拠としているにも関わらず。
骨身に染みましたわ。

投稿者 野ざらし : 22:33 | コメント (0)