雑然としたもの http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/ ja 2007-03-04T02:28:03+09:00 脱出! http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2007/03/post_213.html スパムがすんごいことになってるので移転しますです。
http://d.hatena.ne.jp/no-zarashi/

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野ざらし 2007-03-04T02:28:03+09:00
ボランティア?嫌いですけど。 http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2007/03/post_212.html とあるところに出した原稿です。保存がてらにここにあげときます。
基本的には昔の原稿を改訂増補したものです、はい。 

大学で「カンボジアの恵まれない人々を救う」と銘打った団体に出会ったことがある。クラスメートも何人か入っていた。彼らを見て私は驚いた。「自分たちのしてることは偽善じゃないのか」という疑問は、そこに微塵も無いようだった。偽善じゃないかという指摘をすると、じゃあ偽善とは何で、偽善らしさのない善行なんて果たして可能なのかっていう地雷へと到達するので、そこは指摘しなかったけれど。
 ただ、ボランティアという行為に何らかのきな臭さを感じている人はいるようで、この話をしたら共感してくれた人は少なからずいた。ボランティアを真っ向から批判するのは道徳的に白い目で見られるから黙っていたのが、私の話によって引き出されたようだった。私と何人かの友人が感じているきな臭さの根っこを掘り当てることが、自分の中の問題として今も引っかかっている。考えてきたことを記していきたい。

 外国の恵まれない人を救うというのは、名も知らない人への善意として高く評価される。自分の身の回りにいる人に善意を払う以上の行為として、評価される。ここで思うのは、名も知らない人の方にこそ善意を払う、いや、むしろ名も知らない人にでなければ善意を払えない人は意外と多いんじゃないかということだ。何故か。善意を拒絶される心配が無いからだ。
 貧困に喘ぐ人々にとっては、与えられるものを選び取る以外に選択の余地は無い。与えられたものを受け取らなければ、端的に死ぬ。少なくとも、今より状況が良くなる見込みは無い。そこでは「与える者」は、常に「受け取る者」が受諾することが前提になっている。「受け取る者」に選択の自由はあるにせよ、それは「受け取る者」によって正しい選択がなされるという前提のことであり、その前提は「与える者」によって占領されているような印象を受ける。予定調和化している、システム化していると言ってもいいかも知れない。「与える」とは、もちろん物質的なものだけでなく、精神的なものも含んでいる。当然、善意もそうだ。このシステムの中にいると、善意が必ず実るのだ。それはとても甘美なことだろう。

 さらに考えさせられるのは、クラスメートの「カンボジアの子供たちの笑顔を見ていると、苦労が報われる」という発言である。確かにそうなのかも知れない。ただ、助けられた側にとってはどうなのか。
 (私がひねくれているからかも知れないが)私が救われる立場だったらこう思う。あなた達は私の生活を一変させてくれた。このお礼をどうにかして返したいと思うが、あなた方は私の笑顔を見るだけで十分だと言う。せめてものお礼として、私はあなた達の前では(たとえ辛いことがあろうとも)笑っていなければならない。…実は私たちが払っている対価は、彼らが払ってくれた対価よりも、最終的には多くなるのではないか?彼らは私たちの返礼を(笑顔という)抽象的な次元に落とし込むことで、一生かかっても払えないものへと変貌させていないか?
 こんな感じである。ボランティアの精神、無償の贈与の精神が、結果として契約の形式よりも精神的に強い拘束力を持つ可能性を、私のクラスメートはどの程度自覚していただろうか。無償の行為は道徳的に優れているかも知れないが、それが道徳的に優れているがゆえに、混乱をもたらしかねないことを、自らの道徳性に溺れることなく見ることは出来ていたのだろうか。

 最も私に切迫した問題としてあらわれ、またクラスメートに対して複雑な思いを感じるのは、私の父親がⅠ型糖尿病という難病であるという事実である。言いたいことは、カンボジアの人よりも俺の父親をなんとかしてくれということではなく、近くにいる人だって何らかの悩みや問題をもっているはずで、それに向き合わないでカンボジアの人を救おうとすることは、眼前の事実から目をそらすための口実なのではないか、ということだ。
 確かに自分の近くにいる人の悩みに携わるということは、その人と決裂する可能性を秘めている。悩みを共に考えて、何か行動に移してみることは、悩んでいる当人がそれを余計なお節介と思ってしまえば、その通りになってしまう。例え善意からの行動であっても、である。例えるなら、良かれと思ってする行為は、善意の破片でしかない。それは組み上げる者(良かれと思ってする行為を受け取る側)によっては善意になるが、それ以外のものにもなりうる。当然ながら偽善にも。

 機会があるなら、卒業していくクラスメートにもう一度問いたい。私みたいに考えてる人が「助けられる側」にいたなら、あなたはどうしますか、と。それとも、私の考えこそが実行力に欠ける人の言い訳でしかないのだろうか。

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07 出来事と雑感 野ざらし 2007-03-01T00:26:44+09:00
新しいことをしてみる http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2007/01/post_211.html ジジェクの著書を読もうとしたら、ラカンを分かってないと文章の半分くらいが理解出来
ないことが判明したので、ラカンの解説書とかミクシィのコミュニティで情報収集してみ
ると、今度はラカンはフロイトが分かってないとちんぷんかんぷんとのこと(これは当た
り前なんだけど)。
おまけにジジェクはヘーゲルも分かってないといけないらしい。すいません、ほとんど分
かってないっす。正反合くらいか。
薄々気付いてたけど、他の人の著作も(ジジェクほどあからさまではないにしろ)先人の著
作が分かってないとダメで、それをジジェクによって突きつけられた格好。「かいつまん
で理解しようなんて虫が良すぎる」と言われているかのように。


つぅことで、新しいプロジェクトを開始します。その名も「ひとり思想史」。
自分の持ってる本を体系づけて、思想史にしようという企画。ラインナップはこんな感じ
で。


近代
 カント
 ヘーゲル
現代
マルクス
ハイデガー
ベルクソン
フロイト
さらに現代
メルロ=ポンティ
ラカン
ドゥルーズ
デリダ

主な流れとして三つほど。

①カント、ヘーゲル、フロイト、ラカンの概説書をばばっと(と言っても2ヶ月くらいかけ
て)読んだところで、ジュパンチッチ『リアルの倫理』とジジェク『否定的なもののもと
への滞留』を読む。

②ハイデガー『存在と時間』を、ゲルヴェン『存在と時間註解』と、木田元『ハイデガー
の思想』を便りにしつつ読む。派生的にベルクソンも。篠原資明『ベルクソン』と市川浩
『ベルクソン』あたりかなぁ。
んでベルクソンを概観した勢いに乗じて、ドゥルーズ『アンチ・オイディプス』を、宇野
邦一『ドゥルーズ・流動の哲学』を参考にして読む。

③マルクスの『資本論』…と思ったけど、分量が多すぎるし、優れた解説書が出るに十分
な年月も経ってると思うので、今村仁司『マルクス入門』とか的場昭弘『マルクスだった
らこう考える』で思想面を補充しつつ、伊藤誠『資本論を読む』を進めていく予定。

合間合間に個人的に気になってたメルロ=ポンティ、デリダなんかを挟めればいいなぁと
思っておりまする。

全部併せて一年くらい、遅くとも2008年の3月(つまり卒業)までには終わらせるつもり。
卒業した後でもちゃんと読める文章にするのが差し当たっての目標。読むのが精一杯で無
理だろうけど。

他の本の感想は基本的にブクログにアップしまーす。

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07 出来事と雑感 野ざらし 2007-01-29T02:16:06+09:00
息を止めたままで http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2007/01/post_210.html 復活。
最早ほとんどの人が見てないだろうけれども。

近況を報告しますと、就活してます。
どの企業に行こうか悶絶する日々なんて、一年前には全く予想もしなかったなぁ。
つくづく人生は分からない。

そんな野ざらしごときの認識とは関係なしに時間は歩を進めていくので、ここらでそろそろ失語症状態から脱しないといかんね。
と思って復活した次第。要はリハビリみたいなもんです。
本はちまちまと読んでるけど、基本的にブクログに感想をアップしてあるので、こっちに書くのは特記するほど良かったものにしときます。

The Sunshine Undergroundかっけぇね。ここ一ヶ月ラヂオで流れまくってる。

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07 出来事と雑感 野ざらし 2007-01-14T03:27:01+09:00
手負いの引きこもり http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2006/11/post_209.html 久々の更新。放置プレイも甚だしかった。
現在風邪からようやく立ち直ったところなのだが、昨日「やっべ、タモリ倶楽部の時間じゃん」と思って部屋を勢いよく飛び出したところ、肩をドアのへりに強打してしまい、右肩の可動範囲が半分くらいになっている始末。
左利きに育ててくれたお母さんありがとう、とあえてポジティヴになってみる。


更新してない間にあった出来事をぽつぽつと。
先週の木曜に伴大納言絵巻展に行ってきた。
「午後に行くと90分待ちらしい」という地獄のラッパのような啓示を受けたため、10:30という奇跡的な時間帯に行ったのだが、すでにそこは老人の海。30分待ち。
やはり高血圧は朝が強いからなのだろうか。うちのクラスの高血圧人間も朝だけは強かった。(しかし学校には来なかった)

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で、感想。
ストーリーの面白さはもちろんなんだけど、ストーリーに関係しない群衆の表情をいちいち描いているところが好き。(対してドラクロワとか意外に適当だったりする)
現代アニメでも、評価が高いのは得てして、名も無い敵にセリフ入れたりサイドストーリー入れたりするのだけれど、日本人は昔からこういう細部へのこだわりが好きなのだろうか。少なくとも「主役を中心に、脇役を隅っこに描く」みたいな、例えるなら天動説みたいな意識は感じられない。(注意書きが無ければ、誰が伴大納言かすら判別がつきにくい)
つまり西洋の絵とは違った意味で、細部まで書き込まれてる印象。
あと炎の描写が凄まじかった。決してリアルに描いてるわけではないのだけど、パニックに陥ってる人々の顔も相まって、リアルに描くよりもかえって熱さが伝わってくるような感じがした。
「リアル=臨場感を出す最上の方法」ではないということらしい。なんかまたフランシス=ベーコンに引っ張られているような結論が出てしまったが。


あと金曜日にベルギー王立美術館展に行ってきた。
上野公園、人大杉。げんなり。

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赤瀬川源平が言うには「時間が無かったり、人がいっぱいいる時は、自分の直感にピンときたものだけを見ろ」ということらしいので、従ってみた。というより従わないと人にもまれて死んでしまいそうだったので、従わざるを得なかったということでもある。
見た中では、アンソール、ジャン・デルヴィル、ヨルダーンス辺りが直感的に好きになれた感じ。特にアンソールは他の画家と比較しても皮肉っぽさが際立っていて、福島で展覧会に行っておいて良かったと改めて思わせられた。

あとフランドルの画家は冬景色を描くのが抜群に上手い。
薄暮とか真夜中に雪が降ってる時の、静かでかつ張り詰めた感じが、絵の中にパッキングされてるかのような感覚に襲われた。この感じは万国共通なのだろうか。
単にフランドルの風景の中に、自分で勝手にノスタルジーを読み取ってるだけなのかも知れないけれど。


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08 美術館・講演・映画 野ざらし 2006-11-11T15:56:50+09:00
買った本 2006年10月20日  http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2006/10/20061020.html 不連続殺人事件 坂口安吾著 角川文庫 500円
バレエの魔力 鈴木晶著 講談社現代新書 105円
うそとパラドックス 内井惣七著 講談社現代新書 105円
批評理論入門 廣野由美子著 中公新書 400円

なんだこのラインナップは。バラバラにも程がある。

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06 買い物 野ざらし 2006-10-21T15:28:39+09:00
げにものぐるほしき、るそおかな http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2006/10/post_208.html 土曜に世田谷美術館のルソー展に行ってきた。
世田谷美術館に行くのは瀧口修造展以来のこと。前回はさんざん迷ったが、どうやら丁寧な道しるべをいちいち見逃していただけだったらしい。もはや方向音痴以前の問題か。

で、ルソー。ルソーですよ。
行く前は正直言ってルソーの良さをあまり理解してなくて、どちらかと言うと「なんでルソーがここまで評価されてるのか知りたい」という意味で見に行ったという理由の比重が大きかったのだが、行ってびっくり。

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完全にルソーだけがずば抜けてる。ルソーの手法に倣った人も、ことごとくルソーを超えられていないように見えた。
フランシス・ベーコンがインタビューの中で目標にしていた、「写実的に描かないことで、逆に写実的な表現よりも現実の本質を捉える」こと、言い換えると「現実よりもリアルに描く」ことに成功してるように見えた。
あとルソーの絵は、光が当たっている物の質感が独特で、光にあてられて(この「あてられて」は「フグの毒にあたる」みたいな意味で)身動きがとれないような、異常な緊張感のある作品が多かった。文章も、余計な表現を除いた文章が結果として緊張感をまとうことがあるけど、そんな感じ。ロクス・ソルスの後書きを思い出す。
よく言われる「不思議」というよりは「ものぐるほし」という表現がしっくりくるような雰囲気を出していた。ずっと見ていると酔ってしまいそう、と言ったらいいだろうか。
独特すぎて他の画家が追随しきれなかったのもよく分かる。特にボーシャンという画家の絵は、ルソーの絵にあった緊張感が失われていて、完全にがっかりルソーだった。

ダリよりかはよっぽど空いてると思うのでお薦めでございます。

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08 美術館・講演・映画 野ざらし 2006-10-17T02:04:10+09:00
買った本 2006年 10月14日 と飴ときどき鞭 http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2006/10/20061014.html フーコー 他のように考え、そして生きるために 神埼繁著 NHK出版 550円
戦闘美少女の精神分析 斉藤環著 ちくま文庫 350円

香山リカの『いまどきの「常識」』を読んだ、かなりつまらなかった。
というのを話のタネにするのもなんだが、つまらない本を読むのは(そのせいで読書自体を嫌いにならないのなら)すごく重要だと思う。自分にとって何がつまらないのかを再確認できるという意味では。
他人から本をお薦めされると、自分が素直に面白いと思えるかに先立って、「あの人が薦めたから面白いんじゃないか」という先入観をもって本を読み始めてしまう傾向があるのですよ、個人的には。
それが続くと、何でも面白いと言ってしまう思考停止人間になってしまわないか、という不安が常にあるので、つまらないという感覚は、それ自体としてはポジティヴではないけれど、一方でちょっと安心させてもくれる。
飴ばかりを常に口に含んでると、「甘い」という感覚はいつしか失われてしまうのではないでせうか。

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06 買い物 野ざらし 2006-10-16T01:35:51+09:00
買った本 2006年10月9日&10日 http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2006/10/200610910.html ヤバい経済学 スティーヴン・レヴィット, スティーヴン・ダブナー, 望月 衛 / 東洋経済新報社 950円
DNA J.D.ワトソン, 青木 薫 / 講談社 105円
ペンローズの“量子脳”理論―心と意識の科学的基礎をもとめて ロジャー ペンローズ, 竹内 薫, 茂木 健一郎 / 筑摩書房 1400円
小さなスナック ナンシー関, リリー・フランキー / 文藝春秋 570円

上の二つはブックオフ、下の二つはジュンク堂池袋店にて。破滅的なペースで買っている、そして読んでいる気がする。(勉強する時間を差し引いても)時間があるって恐ろしい。

リリー・フランキーを『東京タワー』の人だと思っている人は、『誰も知らない名言集』と『女子の生きざま』と『小さなスナック』を読んで、こっちが先にあっての東京タワーだということを、頼むから内臓深くに刻み込んでください。野ざらしとしてはこっちのイメージが出来上がっていたから、東京タワーの話を聞いた時はひどく打ちのめされた記憶がある。
やっぱり40手前になってもエロいことばっかり考えてると、いい加減に危機感が生まれてくるのだろうか。

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06 買い物 野ざらし 2006-10-12T02:29:08+09:00
買った本 2006年10月9日 と臓物VS山田 http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2006/10/2006109.html 万物理論 グレッグ・イーガン著 創元SF文庫 650円

ブックオフ中目黒店にて。

三連休のふわふわした空気を堪能したくなったわけではないが、代官山と中目黒に行ってきた。
貧乏人の救世主、ハンジローで軍物のコートがセールになってるとの情報をキャッチしたため。
確かに790円はありがたいが、軍物なこととやせっぽちな体格のせいで、徴兵ギリギリで合格した三等兵のような風貌になってしまうのがいかにも悲しい。
あとはカーディガンを2000円で買う。いい買い物。

中目黒に移動し、「JOHANN」という店でチーズケーキを買う。有名な店らしく、プレーンしか売れ残っていなかったのがちと悔やまれる。美味かったので次回の楽しみ、ということにしとこう。

で、今日の主目的であるもつ鍋を食らいに「鳥小屋 東山店」へ。

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もつ鍋。キャベツの下にもつやら何やら、色々な肉が入っている。あまりの美味さにテンションが激変しました。

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手羽ギョウザ。手羽に餃子が入ってる、ってそのまんま。こっちはわりかし普通。

あと写真撮るの忘れたけど、牛すじ煮込みもめちゃめちゃ美味かった。すじの分際でコラーゲン多そうな感じ。

人気店だけあって、クオリティが高すぎる!臓物系の肉ってどうしても臭みが残ってしまうのだけど、肉の質がいいんだろうか、臭みもほとんど無く、噛めば噛むほどダシが出てくる。
実家では東北という土地柄、結構頻繁にもつ鍋を食べていたが、同じ物差しで計っていいのかというくらい美味い。家庭で作れるレベルとは一線を画してますなこりゃ。

鍋の美味さと比べると物凄くどうでもいいが、もつ鍋を懇切丁寧に作ってくれた中東系の店員が、サスケに挑戦し続ける山田勝己に似すぎていて、腹筋に過剰に負担がかかった。目の前でもつ鍋に挑戦する山田勝己。まだサスケよりかは建設的な気がする。

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06 買い物 野ざらし 2006-10-10T17:38:07+09:00
雨また雨、のち雨 http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2006/10/post_207.html アンチ・オイディプス 上下巻 ドゥルーズ&ガタリ著 河出書房新社 1200円×2

実はこんな豪雨にも関わらず一限から出席できたのは、この本を一刻も早く入手したかったからだったりする。それくらいの衝撃、まさかアンチ・オイディプスが文庫で読めるとは。
でも電車で読んでたら確実に隣の人が引くという確信がある。僕の場合は隣の人がドグラ・マグラを読んでいたという経験があり、さすがに衝動的に刺されたりとかしないかと心配になったことがあるのだが、自分の身に置き換えてみるとアンチ・オイディプスでも十分引ける。だからと言って読まない理由は無い。むしろ他人に容赦などせず読みたい。
むしろ引いてしまう自分の心持ちを変えないと出版の未来は暗いな。というわけで老いも若きもアンチ・オイディプス。ゆりかごから墓場まで欲望機械。ぜひとも読みましょう。
かのフーコーがドゥルーズのことを指して「いずれ二十世紀は彼の時代になる」と言ったくらいだから、まだ言ってることはよく分からないけど面白いこと請け合いだと思う。
フーコーの予想はさくっと外れたが、フーコーは予想屋ではないので、それはそれ。

アンチ・オイディプスまでいかなくとも、電車の中で読んでると「おおっ」みたいに思わせることができるような本、というのがあると思うわけで。個人的には女の子に小林秀雄とか読んでてほしいけど、生まれてこの方出会ったことが無い。電車通学自体が東京に来てからだから、生まれてこの方と言ってもまだ5年くらいなのだが。

やっぱり社会人が朝っぱらから少年誌を読んでると、「自分が他人にどう映ってるか」というのに対して無頓着かなぁという気はする。それ以前にかさばるし、ラッシュの時にぶつかると角がいてぇよ少年誌。
疲れてて容易に頭に入る漫画を選びたくなるのは分かるが、公衆の面前で漫画を読むということは、その姿を無防備に他人に晒すことでもあるということを忘れてもらっては困る。

ちなみに今までで一番引いたのは「心のオーラの色を変えて、人生も明るく!」みたいな本を読んでた人。なんか心の中に生暖かくて気持ち悪い風が吹きましたわ。

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06 買い物 野ざらし 2006-10-07T00:58:39+09:00
山賊のためのぬるぬるした曲 http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2006/10/post_206.html ぬあぁ、買った本を書くのずっと忘れてた!実はアグレッシブに20冊近く買ったり借りたりしてたので、こっそりブクログに入れておきました。どんまい。
リンクに貼ってあるブクログが、おかげさま(誰の?)でもうすぐ500冊の大台に到達してしまいそう。
家にそれくらいの本があるってことは別に大したことじゃない(むしろブクログに登録してない本は、自分の蔵書だけでもけっこう残っている)が、ブクログのめんどくさい入力に現在のところ450以上も耐えたという事実がすごい。

それはさておき。
パビリオン山椒魚を見てきた。

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ほとんど何の前知識も無しに観ることになったので、どういう映画かすらも明瞭ではなかった。先が読めなかったという意味では良かったのかも知れない。
序盤はひたすら退屈。レトロで陰謀渦巻く湿っぽい感じにキャストを溶け込ませたいのか、それとも個別のキャラを立たせたいのかがはっきりしない。せっかくの菊地成孔の音楽ともいまいちタイミングが噛み合ってない印象。半分寝ながら凌いだ。

が、後半は・・・面白かった。笑った。オダジョーのキャラが最大限に活きていた。まさに独壇場。
TRICKとかを意識してる匂いはぷんぷんしつつも、もうちょっとストーリーとか無視しちゃって、いい意味でめちゃくちゃやっちゃってる感じ。ネタバレしたくないんで突っ込んでは書かないけど。
ちなみに一番強く思ったことは、香椎由宇の顔怖いよってこと。こればっかりは譲れない!
あの殺気の出し方でまだ成人前とは、今後がますますもって恐ろしい。
一人で見に行くよりかはみんなで見に行った方が絶対に面白い映画なので、ま、ダリ展人大杉(60分待ちとかなってるって本当なんだろうか)とか思ってる人にはお勧めしときますわ。

渋谷では明日までだけどな。

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08 美術館・講演・映画 野ざらし 2006-10-05T00:21:51+09:00
羊皮紙をめぐる冒険 http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2006/09/post_205.html 最近、読む小説読む小説が面白くない。
と言っても小説が悪いとかそんな大それたことを言いたいのではなく、自分が選んでくる本がある程度パターン化していて、本を手に取ってパラパラとめくると「あぁ、そういう感じのを読みたかったのね」みたいな気持ちが沸き上がってくることが問題なのだ。
つまりは自分の読む小説の区分が固着して、小説があたかも処方箋のようになっている、ということ。よろしくない。
自分の欲望を裏切ることを欲望している、と言えばいいのだろうか、いずれにしても自分が今まで望みもしなかった小説を読んでみたい気分になっている。
そんなことは他人の知ったことでは無いというのは言ってる本人が一番分かっていることだが、そもそも世の中の大部分は「本人にとっては重要だが、他人にとってはどうでもいいこと」で構成されているような気がしてならない。(例:痔を患った当人とそれを聞いた人の温度差)

姉が読んだものであろう、石田衣良の『アキハバラ@DEEP』がソファの下に転がっていたので、とりあえず手に取ってみる。思い起こせば石田衣良はもう4冊目。十分読んだと言っていい。
自分のパターンを外れようとする動きすらもパターン化していることに愕然とする。

自分のボツ本棚(読んだorいつ読むとも知れない本が詰まった段ボール)に一縷の望みを託し、助けを求めることにした。
半分ほど人にあげたので寂しいラインナップになっているが、その中からポーの『黄金虫』を拾いあげる。推理小説にも手を出そうと思ってそのまま放置していた一品。
このくらいラディカルにいかないと何も起きなさそうな気がする。自分への精一杯の不意打ち。
かと言ってこれをきっかけに推理小説にはまってしまうと、それはそれで気持ち悪いこと請け合い(他の人が言うならいざ知らず、野ざらしが「最近推理小説にはまってるんだよねー」と打ち明ける時の気持ち悪さを想像してみて下さい)なので、依然として葛藤は残ったまま。どんまい。

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07 出来事と雑感 野ざらし 2006-09-30T13:38:31+09:00
モダンというか、節操が無いというか http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2006/09/post_204.html 早稲田の院の面接が終わったので、こないだ行ったのに放置していたモダン・パラダイス展へ。院の結果は・・・正直手応えがよく分からないのでなんとも。

こういうベタなというか、美術館名を冠してるような展覧会に行くのは久々。どっちかというと人にスポットライトを当てたようなのの方が好きだけど、ゲルハルト・リヒターとかイブ・タンギーとか、見たい絵がちらほらとあったから行ってみた。

うー、長かった・・・。
そこかしこに椅子はあるけれど、俺のようなご老体にはこたえる長さ。
面白かったのは、第一章の「光あれ」で、半ば強迫的に光を表現している画家がいる一方で、いい感じに省略して光やら水面やらを描く画家がいたこと。
逆説的だけど、どっちかというと後者の方が人間の視覚に近いんじゃなかろうか。光や水は写真にでも撮らない限りは不定形なんだし。
だからかも知れないが、後者の方が野ざらしにとってはすんなり受け入れられたし、好感が持てた。というよりも前者の絵はピントがどの距離にも合っている合成写真のようで、違和感がありまくり。

あとは気になった絵を多少。
イブ・タンギーはひたすらに破滅的。ダリのように物を歪ませているのではなく、イブの絵はそもそも何が描かれているのかすら分からない。
確かにそこにあるのに、見ようとすると視線をすり抜けるようなあり方をしていた。なんかオカルトみたいだな。とりあえず見た人が頭の中で物語を作ることを拒否してる、という感じはふつふつと伝わってきた。

瀧口修造は相変わらずすんばらしい。色とか形のよさを、「それが何であるか」に捉われずに出すことにかけては、ザオ・ウーキーと同じくらいすごい気がする。ザオ・ウーキー展も瀧口修造展も、またやらないかなぁ。

あと、関根正二の「信仰の悲しみ」が思いがけず良かった。↓に貼っておきます。

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やっぱ最も深みのある顔は無表情だと思う。感情が最も深いところまで行ったら、それは表情としてはもう現れてこない気がする。何も考えて無くても、最も深いところまで感情とか考えが及んでいても、同じ表情になってしまうだろうっていう予想は、なんか皮肉っぽいのぅ。


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08 美術館・講演・映画 野ざらし 2006-09-18T19:53:31+09:00
細切れについてない一日 http://hemispher.fakefur.jp/blog/books/archives/2006/09/post_203.html テストの前半戦が終了したが、賢明な野ざらしは後半戦を見据えて駒場図書館へ。政治学史の教科書を借りに行くため。
駒場は副都心のように様変わりしていた。イタリアントマトが出来かかっている。
いや、イタリアントマトがチェーン店だってことを後輩に聞いて初めて知ったんだが。福島にはそんなもん進出してないから、俺が悪いんじゃないんだよ!!

図書館に行ったものの何故か検索サーバーがダウンしていて、仕方なく目当ての本を手探り状態で探す。
しかし、無い。結局別物を借りてきたが、これでどうにかなるのか…?普通はならない。
他にも借りてきてしまった(『肉への賛辞 フランシス・ベイコン・インタビュー』と『知の欺瞞』。あとドラフト外れ一位で借りてきたのが『政治思想史』。どんなメンツだよ。)ため、ものすごく重い荷物を背負ったまま渋谷へ。ちなみに本郷図書館で借りた書物も借りている。

と思ったが、駒場の博物館にふらっと立ち寄る。
「光の世界」というものをやっていた。光ファイバーを使えたり、反転鏡(左手を上げると、鏡の向こうでも左手を上げる!)などなどがあって、かなりクオリティの高い展示だった。デュシャンの大ガラスもライトアップされていて、また別な表情を出していた。

で、改めて渋谷へ。プライドのイベントをやっていたらしく、横断歩道がなかなか渡れない。
荷物の重みを利用して強行突破しようかと思ったら、警察が来てくれたせいであっさりはけてくれた。でも荷物がぶつかった人に睨まれた。大事な本に衝撃を与えたのはそっちなのだから、こっちが睨みたい。が、目力が無いので自重。自嘲。
烏合の衆っぽさを前面に押し出して、それを恥じる素振りも見せないから渋谷は嫌いなのだ。
という考えをみんながしてると、俺も烏合の衆になってしまう。なかなかに難儀。だから渋谷は嫌いなのだ。下衆な池袋が大好きです。


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07 出来事と雑感 野ざらし 2006-09-08T22:43:52+09:00